天童古城(愛宕神社)

住所:天童市天童城山

 標高242メートルの舞鶴山に築かれた山城。南北朝時代に北畠天童丸が館を構えたのが始まりと伝わる。当地の地名も天童丸から取られたという。その後、斯波頼直が城に入り天童氏を称した。戦国時代、天童氏は最上義光の家臣となるが、関係が悪化し1584年に城を落とされ陸奥に逃れている。その後、廃城になった。

(南桜門。ここから登って行けば曲輪が見られるらしいが、自分は反対側から上の駐車場まで車で行った)

(駐車場近くに建つ天童藩の家老・吉田大八の像)

(天童市といえば将棋。公園にある人間将棋盤)

(王将)

(主郭跡)

(物見櫓台跡)

(城址に建つ愛宕神社の拝殿。1584年、天童氏を駆逐した最上義光が勝軍地蔵を本尊として建立した)

(主郭附近からの眺め)

感想:駐車場から城址(愛宕神社)までが結構な上り坂できつかったです…。


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祥雲寺(最上満国の墓)

住所:山形県村山市楯岡湯沢14ー1

 曹洞宗。1406年に楯岡城主となった斯波満直の四男・最上満国が城の鬼門の地に創建した。満国の子孫・楯岡満茂は最上義光の重臣として活躍している。
 寺宝に「聖観音立像」「六角膳」などがある。

(山門)

(本堂)

(鐘楼)

(出羽七福神の像)

(毘沙門堂)

(2006年に修復と整備がされた満国の墓)

(楯岡城遠景。夕方についたのだが、地元の方に「往復1時間はかかる」と言われて諦めた)

感想:近くに居合神社があります。


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林崎居合神社(抜刀術発祥の地)

住所:山形県村山市林崎85

 居合術の祖・林崎甚助重信を祀る。1547年、重信は坂上主膳に暗殺された父の仇を討つため、熊野明神に祈願して修行を行い抜刀術の林崎夢想流を会得。1561年、京都で見事主膳を討ち取った。後年、熊野神社境内の一角に居合神社が建てられる。明治時代に熊野神社と合祀され「熊野・居合両神社」となった。
 今でも居合を学ぶ全流派の者から崇敬され、境内の居合振舞館では奉納演武などが行われている。

(鳥居)

(社殿)

(重信の供養塔)

(境内には様々な流派が奉納した碑が並ぶ。写真は無双直伝英信流のもの)

(林崎居合始祖神の碑)

感想:昔、居合をやっていたので参拝しました。


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