西常得寺(土肥半左衛門の墓)

住所:山形県天童市蔵増甲1104

 浄土真宗本願寺派。

(山門)

(最上義光の長男・義康を射殺したという説がある土肥半左衛門の供養塔)

(高さ約20メートルの蟠化杉(化杉)。この下に半左衛門の供養塔がある)

(本堂。左の杉が蟠化杉)

感想:義康の死については諸説あって真相は分かっていないようです。


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高擶城(天童古城の支城)

住所:山形県天童市高擶

 1410年頃、最上義直が築城したのが始まりだと伝わる。1475年、現在地に天童古城の支城として再建された。1580年頃、最上義光と天童氏の戦いで義光のものとなり、以降は最上氏の家臣が入ったが1622年の最上氏改易により廃城となる。
 当時は濠がめぐらされ周辺に寺院を移して防備を固めていたという。

(二の丸跡に建つ城址碑)

(城碑近くの道路。この辺りに大手門があった)

(二の丸跡に建つ皇大神社)

(上野館林藩が飛び地を支配するため建てた高擶陣屋跡。本丸跡でもある。現在は公園になっている)

(陣屋跡の碑)

(築城600年の碑。「最上義光のふるさと」と刻んであった)

感想:高擶は「たかだま」と読みます。


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建勲神社(天童市)

住所:山形県天童市天童字城山1043ー5

 祭神は織田信長。1870年、天童藩主だった織田信敏(信長の次男・信雄の末裔)が建立した。1884年、当地に移される。

(拝殿)

(本殿)

感想:道と駐車場が狭くて運転に苦労しました…。


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