林昌寺(金森可重の実父母供養塔)

住所:岐阜県飛騨市古川町片原町2-27

 曹洞宗。創建年代は不明だが、飛騨国司・姉小路家の菩提寺だったと伝わる。1589年、金森可重が実父母の長屋氏の追善供養のため、当地に再建した。
 寺宝に絹本著色十二尊像、絹本著色金森可重画像などがある。

(入り口)

(弁財天)

(山門。増島城が1695年に廃城となった際、城門を移築したもの)

(鐘楼堂)

(包丁塚)

(本堂)

(金森可重の実父母供養塔)

感想:増島城の近くに建っているので、一緒に廻るのが良いでしょう。


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飛騨増島城(金森可重の居城)

住所:岐阜県飛騨市古川町片原町

 1585年、飛騨を制圧した豊臣秀吉は金森長近に飛騨一国を与える。1589年、荒城郷1万石を与えられた長近の養子・可重が増島に築城。可重が金森家の当主となり高山城に移ると、可重の長男・重近(宗和)が城主となる。1615年、一国一城令により古川旅館と改称した。1692年、金森氏が出羽上山に減封された後、廃城となる。

(今も残る堀と石垣)

(城趾に建つ御蔵稲荷神社)

(城趾に建つ増島天満神社の拝殿)

感想:ご覧の通り、遺構がしっかりと残っていました。


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華蔵寺(松江城の鬼門)

住所:島根県松江市枕木町205

 臨済宗南禅寺派。枕木山の山頂に建つ。825年、智元の開基で当時は天台宗だった。鎌倉時代末期、亀山天皇が病気の際に当寺の水を献上したところ平癒したため、亀山天皇が帰依し臨済宗に改宗させている。
 戦国時代になると尼子・毛利軍の戦乱の舞台となり兵火で伽藍が焼失し衰微した。しかし堀尾氏が松江藩主となると松江城の鬼門に当たる当寺を祈願所とし、その後に松江藩主となった京極氏、松平氏の崇敬を受け再興している。

(入り口)

松平直政が建立した仁王門)

(運慶作と伝わる仁王像)

(参道途中に建つちょっとコミカルな不動明王の石像。写真では伝わりづらいですが、かなりの大きさ)

(長い参道を登るとやっと本堂のある場所に辿り着く)

(薬師堂)

(鐘楼門)

(本堂)

(中海・境港方面を望む。この景色を見るためだけでも当寺に来る価値がある。霞んでなければ大山なども見えるらしい)

感想:山陰人にとって、枕木山の山頂はお寺よりもテレビ塔があることで有名かも。