金森重近
(かなもりしげちか)
生没年:1584〜1656年/ 身分:飛騨高山3万8千石の大名の子/ 官位(通称、号):飛騨守

福井県大野市城町3-109の大野城にある祖父・金森長近の像
金森可重の長男。通り名は金森宗和。豊臣秀吉に仕えて飛騨守に任ぜられる。大坂冬の陣直前に突然勘当された。理由は、豊臣家に味方するのを主張したとも、所領のことで不満があったとも言われているが、真相は不明。そのため、母と一緒に京都に隠棲し宗和と号した。
公家・武家と親交を深め禁中にも出入りをする。その茶風は優麗で上品なことから『姫宗和』と呼ばれた。1656年死亡。
管理人・・・お茶の世界では非常に有名な方です。
参考文献:戦国人名事典 コンパクト版・茶道人名辞典、ほか
UPDATE 2005年10月29日
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