飛騨増島城(金森可重の居城)

住所:岐阜県飛騨市古川町片原町

 1585年、飛騨を制圧した豊臣秀吉は金森長近に飛騨一国を与える。1589年、荒城郷1万石を与えられた長近の養子・可重が増島に築城。可重が金森家の当主となり高山城に移ると、可重の長男・重近(宗和)が城主となる。1615年、一国一城令により古川旅館と改称した。1692年、金森氏が出羽上山に減封された後、廃城となる。

(今も残る堀と石垣)

(城趾に建つ御蔵稲荷神社)

(城趾に建つ増島天満神社の拝殿)

感想:ご覧の通り、遺構がしっかりと残っていました。


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飛騨増島城(金森可重の居城)」への2件のフィードバック

  1. 飛騨は山が多いので気づかれづらいと思ったのか、全国的にそういう傾向だったのか…。
    石垣が手付かずで残っているんですね。調査して欲しいですが、仰る通りどこも厳しい財政ですから難しそうですね。やったところで一般の観光客は呼べないですし(T_T)

  2. 金森氏は一国一城の令もあまり真に受けず
    名称をかえただけで城をそのまま使用しています。
    増島城は、3年ほど前に発掘調査でかなり石垣がでてきました。
    聞くところによると現在の小学校のグランドの下には
    ほぼ本丸部の石垣が埋まっているようです。
    掘れば遺構は確実に石垣がでてきますが、
    財政難のため発掘調査がされません。

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