上宮天満宮(羽柴軍合流の地)

住所:大阪府高槻市天神町1丁目15ー5

 祭神は菅原道真、野見宿禰、武日照命。この辺りは菅原道真の先祖・土師氏が住んでいたと伝わる。993年、道真の没後に勅使として太宰府に派遣された菅原為理が京都への帰途、当地で牛車が動かなくなったため調べたところ菅原氏所縁の地と分かり野見神社の境内に社殿を建て道真を祀った。太宰府に次いで二番目に建てられた天満宮で、北野天満宮より起源が古いことから上宮天満宮の称するようになる。
 高槻駅から当社に続く参道周辺は天神の馬場と呼ばれ、1582年に明智光秀を討つため中国地方から戻った羽柴秀吉が中川清秀や高山右近と天神の馬場で合流し山崎方面に向かっている。

(入り口)

(鳥居)

(参道)

(野見神社)

(1656年、高槻城主・永井直清が建立した拝殿)

(上宮型狛犬)

(本殿と拝殿。本殿は1590年に秀吉によって建てられたが、1996年に賽銭泥棒の少年5人の放火により焼失する。しかしのちに再建された)

感想:寺社の放火って現代でも結構あるんですね・・・。
 霊松寺の三好義興の墓から直接行こうとして当社の西側に着いたのですが、登り口が南側しかなく戻る羽目になりました(T_T)


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霊松寺(三好義興の墓)

住所:大阪府高槻市天神町2-4-2

 曹洞宗。8世紀中頃に行基が開創し地蔵院と称した。1412年、松の下から現れた仏像を本尊とし建物を再建したため寺号を霊松寺に改める。正親町天皇や三好長慶の崇敬が厚く栄えたが、高槻城主・高山右近の兵火により焼失。江戸時代に再建された。

(霊松寺傘松地蔵尊。子宝、安産、子育てに効験ご利益があるという)

(山門)

(地蔵菩薩)

(本堂)

(長慶の息子・義興の墓。通称・カンカン石)

感想:義興の墓は本堂とは道を挟んだ向かいの墓地にあります。他にも高槻城主・入江春正の墓があったそうですが分かりませんでした。


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宝円寺(前田利家の両親の供養塔)

住所:福井県越前市高瀬1丁目25ー4

 曹洞宗。1388年、直伝正祖が創建した。1573年、織田信長が越前を治めていた朝倉義景を攻めた際に兵火で全焼。しかし越前府中城主となった前田利家が当寺の住職・大透圭徐に帰依し再興し、両親の菩提を弔った。利家はその後、加賀に移封された際にも金沢に宝円寺を建立している。
 1584年に再び兵火によって全焼したが、利家の息子・利長が再建している。その後、1821年と1931年に火災にあうが再建し現在に至る。

(総門)

(総門の側に建つ微笑延命地蔵尊)

(総門の側に鎮座する前田利家像)

(十三仏堂)

(六地蔵堂)

(右が道元、左が瑩山の像)

(山門)

(本堂。前田家の家紋がありました)

(庭園)

(利家の両親の霊廟)

(利家の父の供養塔)

(利家の母の供養塔)

感想:石像が多く香川県の田村神社與田寺と同じ雰囲気がした。
 山門など趣があって良かったのに、それを壊している感じがちょっと残念。いや、事情は分かりますよ、分かりますけど…。


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