適塾(蘭学の私塾)

住所:大阪市中央区北浜3-3-8

 1838~1862年まで名医・緒方洪庵が開いた学塾。橋本左内、大鳥圭介、福沢諭吉、大村益次郎などがこの塾で学んでいる。現在の建物は洪庵が1845年に購入したもので1942年に大阪大学に寄贈された。1980年に一般公開される。

(入り口)

(適塾の近くにある大阪でもっとも古い幼稚園・愛珠幼稚園)

感想:何となく戦国時代以外の史跡にも行ってみようと思い寄ってみました。周りはビジネス街らしく訪れた休日は人通りが少なかったです。


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玉造稲荷神社(豊臣秀頼の像)

住所:大阪市中央区玉造2-3-8

 祭神は宇迦之御魂大神・下照姫命・雅日女命・月読命・軻遇突智命。紀元前12年に創建されたという。聖徳太子が物部氏と戦う際に戦勝祈願を行ない、戦乱後に観音堂を建立したと伝わる。
 1576年に兵火で焼失したが、1603年に豊臣秀頼によって再建され大坂城の鎮守神として豊臣家の崇敬を受ける。豊臣家滅亡後も徳川家の崇敬を受け、大坂城代は着任の際に当社に参拝している。

(入り口)

(鳥居)

(拝殿)

(拝殿の側にある利休井。2006年にNPO法人「大阪城甲冑隊」らによって再掘された)

(豊臣秀頼についての説明版。豊臣氏時代の大坂城築城の際に切り出された生駒山の石を使用している)

(2011年に建てられた豊臣秀頼の像)

(1603年に豊臣秀頼が奉納した鳥居。1995年の阪神淡路大震災で基礎が損壊したため、このような形で保存することになった)

(当社の南西に利休屋敷があったことから建てられた千利休居士顕彰碑)

(秀頼の胞衣が埋められたことから建てられた胞衣塚大明神)

感想:秀頼の像はなかなかお茶目な感じで私は好きです。


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普門寺(細川晴元の墓)

住所:大阪府高槻市富田町4-10-10

 臨済宗妙心寺派。1390年、設厳が現在本照寺が建つ場所に創建した。1561年、三好長慶に屈服した管領・細川晴元が幽閉されている。1566年、室町幕府14代将軍・足利義栄が2年間滞在し普門寺城と呼ばれた。
 一時衰退したが、1617年に龍渓が方丈などを建立し中興する。1655年、明の高僧・隠元が宇治に万福寺を開山するまでの6年間留まった。隠元は黄檗宗の開祖で明からインゲン豆をもたらしたと伝わっている。
 明治時代に入ると寺領や建物が失われ再び荒廃し、昭和になると無住の時期もあり荒れ果ててしまう。しかし1982年に方丈が解体修理され当初の姿に復元された。

(山門)

(国の重要文化財・方丈)

(方丈の前の庭)

(瑠璃殿)

(玉淵の作と伝わる枯山水庭)

(細川晴元の墓。1563年、失意のうちに亡くなっている)

感想:拝観には事前に電話での予約が必要で、拝観時間は13時半~16時半です。いきなり行っても入れませんので気を付けて下さい。
 たまたま見学に来られていた女性と山門で一緒になり、お寺の方のお話を一緒に聴くことになりました。


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