霊松寺(三好義興の墓)

住所:大阪府高槻市天神町2-4-2

 曹洞宗。8世紀中頃に行基が開創し地蔵院と称した。1412年、松の下から現れた仏像を本尊とし建物を再建したため寺号を霊松寺に改める。正親町天皇や三好長慶の崇敬が厚く栄えたが、高槻城主・高山右近の兵火により焼失。江戸時代に再建された。

(霊松寺傘松地蔵尊。子宝、安産、子育てに効験ご利益があるという)

(山門)

(地蔵菩薩)

(本堂)

(長慶の息子・義興の墓。通称・カンカン石)

感想:義興の墓は本堂とは道を挟んだ向かいの墓地にあります。他にも高槻城主・入江春正の墓があったそうですが分かりませんでした。


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霊松寺(三好義興の墓)」への2件のフィードバック

  1. >湖西堂さん

    初めまして。
    霊松寺では三好義興の墓だけを調べていったので、他の武将の墓もあると現地で知ったので探しようがなかったですね…。土岐定義の墓にも辿り着けなかったくらいですから。
    私の場合は完全に事前の調査が足りませんでした。

  2. はじめまして、戦国ファンの湖西堂と申します。
    実は先日、私も高槻近辺の史籍を回ってみました。
    ご紹介されている霊松寺や普門寺にも行っております。
    残念ながら、霊松寺では三好義興や土岐定義の墓を掃苔させていただきましたが、私も同様に入江春正はわかりませんでした。
    境外と聞いていたので、少し探したのですが・・・・・
    なかなか戦国時代の遺物を探すのは難しいものですね。

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