身延山久遠寺(日蓮宗総本山)

住所:山梨県南巨摩郡身延町身延3567

 1274年、佐渡での流罪を赦された日蓮は、甲斐波木井郷を治めていた波木井(南部)実長に請われ身延山に入り草庵を建てた。1282年、常陸に向かう途中、武蔵で亡くなったが遺言により遺骨は身延山に埋葬される。一時衰退したが、室町中期に日朝の尽力により再興。甲斐を支配した武田氏の崇敬を受け、江戸時代には徳川家康の側室・お万の方が帰依している。

(駐車場からエレベーターを使って本堂に直接行ける。ロープウェイじゃなくてエレベーターね)

(エレベーターからの眺め。乗るのに料金はかからないが、お気持ちを入れる浄財の箱が設置してある。礼儀として入れましょう)

(着いたらさっそく見える本堂)

(五重塔)

(大鐘。お万の方の寄進によって鋳造されたもの)

(日蓮の像を祀っている祖師堂)

(開基堂)

(日蓮の舎利を安置している御真骨堂。尾張の信徒によって1881年に建てられた)

(法喜堂。1608年、豊臣秀次の母・日秀尼が息子の菩提を弔うため建立した。現在の建物は1875年の焼失後に再建されたもの)

(甘露門)

感想:時間がなかったため駆け足で見て廻った上に工事中の建物も多かったので、一部しか見られませんでした。それでも大伽藍には圧倒されました。もう一度来てゆっくり見て廻りたいです。


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2012年秋の高知行き(3日目だけ)

 2012年9月15日~17日の三連休、高知県に行って来た。廻った史跡は今まで載せたので、史跡に行かなかった3日目だけをレポート形式で…。
 17日(金)、だらだらした後、お土産を買いに高知駅に行く。駅の広場には幕末の英雄の像が出来ていた。もう龍馬の像はいいんじゃない、って思ったけど高知県には欠かせないんだろうな。

 写真の撮影が終わると駅の隣に出来た「とさてらす」に行く。中には高知の各地の名産などが分かる立体地図があったのだが、その中の長宗我部元親像がなかなかいい味出していた。

 それから土佐おもてなし勤王党の演技を見て

 ゆるキャラを撮影して

(龍河洞のゆるキャラ・りゅーくん)

(ごめんなさい、こっちは分からなかった)

 駅の北のうどん屋で食事して

 台風が接近している中を車で帰った。

感想:運転できる人と一緒に行ったとはいえ、1日目が金曜日の夜に出て、そのままほぼ寝ずに史跡を廻ったので風邪を引きそうになった。3日目もなかなかの辛さだった。やはり愛知と高知は車で行くには遠い…。でも、飛行機の路線が廃止になったからそれしか手段がないんだよな。高速バスも辛いし。

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正福寺跡(谷忠澄の菩提寺跡)

住所:高知県四万十市中村山手通54ー1

 1208年、土佐に流罪となった法然を受け入れるために中村の人達は寺を建てたが、法然は讃岐に留まることになった。そこで寺号を正福寺とし知恩院の末寺とする。長宗我部元親が土佐を統一すると、幡多郡を治めた谷忠澄の庇護を受けた。忠澄が亡くなると墓所が建てられ位牌が納められたが、江戸時代に行方不明となる。
 廃仏毀釈のため1871年に廃寺となったが、1903年に場所を移して再建された。現在、元の正福寺があった場所には裁判所が建っている。

(裁判所)

(説明が書いてある碑。後ろの建物は見れば分かるけど、裁判所の南に建つ検察庁です)

感想:ネットで検索したら、正福寺の建立は法然を受け入れるためではなく、法然が自分を待っていた人達のために弟子に袈裟などを届けさせた品を、地元の人達が法然の代わりとして安置するためだったそうです。




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