正福寺跡(谷忠澄の菩提寺跡)

住所:高知県四万十市中村山手通54ー1

 1208年、土佐に流罪となった法然を受け入れるために中村の人達は寺を建てたが、法然は讃岐に留まることになった。そこで寺号を正福寺とし知恩院の末寺とする。長宗我部元親が土佐を統一すると、幡多郡を治めた谷忠澄の庇護を受けた。忠澄が亡くなると墓所が建てられ位牌が納められたが、江戸時代に行方不明となる。
 廃仏毀釈のため1871年に廃寺となったが、1903年に場所を移して再建された。現在、元の正福寺があった場所には裁判所が建っている。

(裁判所)

(説明が書いてある碑。後ろの建物は見れば分かるけど、裁判所の南に建つ検察庁です)

感想:ネットで検索したら、正福寺の建立は法然を受け入れるためではなく、法然が自分を待っていた人達のために弟子に袈裟などを届けさせた品を、地元の人達が法然の代わりとして安置するためだったそうです。




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