谷忠澄(1534〜1600年)
官位・通称:忠兵衛
谷氏の先祖は大和三輪谷の大神氏だという。土佐神社の神官だったが、長宗我部元親に仕える。1576〜1580年まで土佐中村城代を務める。この時に囚人を使役し入野浜の松を増殖した(1590年代、幡多郡奉行時代だったという説もある)。
四国征伐では阿波一宮城の守備し奮闘したが、豊臣秀長軍に勝てないことを悟り、元親に和議を勧めている。戸次川の戦いで戦死した長宗我部信親の遺骸を受け取りに島津軍に使者として赴いた。1600年11月7日に病没する。
高知県幡多郡黒潮町入野1438の長泉寺に建つ忠澄の墓

Copyright (C) 2012 Tikugonokami.