尾張史跡巡り2011(前編:尾張守山城・志賀城・名塚砦・稲生原古戦場)

 2011年2月13日(日)、三連休を利用してちょっと遠くに行こうと思っていたのだが、11日に雪が降ると聞いてキャンセルした。でも、どうしても史跡巡りをしたかったので代わりに愛知県の尾張地区を廻ってみた。

1.下社(しもやしろ)城・・・名古屋市名東区陸前町。築城年代は不明。柴田勝家の出生地として知られる。柴田氏は斯波氏の子孫・義勝が越後新発田城主となり柴田姓を名乗ったのが始まりという。現在は明徳寺が建っている。
感想:ということは勝家は上杉景勝に反旗を翻した新発田氏と同族なのか・・・?

(明徳寺前を通っている勝家坂)

(山門の横にある柴田勝家公誕生地の碑)


2.尾張守山城・・・名古屋市守山区市場。1521年、今川氏豊が那古野城を築いた頃、小幡城・川村城に対抗して築かれたといわれる。松平清康が家臣に殺害された「守山崩れ」が起きた場所として知られる。現在の宝勝寺周辺が城址で、寺の裏に説明版と碑がある。
感想:アパートの前にある説明版に、前回来た時はまったく気がつかなかった・・・。あの時は人と一緒で忙しかったからな。

(堀跡)

(碑)


3.志賀城・・・名古屋市北区平手町。志賀公園内。城主・築城年代ともに不明。この辺りに平手政秀の屋敷があったため、平手氏が城主を務めたか、もしくは城址に屋敷を建てたのではないかといわれている。

(平手政秀宅跡)


4.丹羽長秀屋敷・・・名古屋市西区児玉3丁目。丹羽氏の先祖は武蔵七党の一つ・児玉党の出身。丹羽郡に来て丹羽姓を名乗り、この辺りに屋敷を構えた。地名の児玉も児玉党からきているといわれる。
感想:いつ行っても碑の真後ろに車が停まっていることで、ここは有名(?)なのだが、今回は停まっていなかった。

(碑。後ろの車は駐車場のものでいつも停まっている車とは別)

(碑の近くに建つ児玉白山社。この辺りに屋敷があったといわれる)


5.名塚砦・・・名古屋市西区名塚町4丁目。織田信長が弟・信行や柴田勝家らに謀叛の動きがあるとして、1556年に急遽築いた砦。現在は白山神社が建っている。
感想:説明版はあったが碑は見当たらなかった。

6.稲生原古戦場跡・・・西区名塚町1丁目。1556年8月24日、柴田勝家らが信行を擁立して信長を討とうとしたが撃退された。この周辺には戦死者を葬った塚がいくつかあったが、現在は庚申塚が残るのみである。
感想:住宅街にある小さな公園のようなところにあった。

(全景。奥の祠が庚申塚らしい)

(公園内にある稲生合戦戦没者供養塔)


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藤堂高虎と加藤嘉明の確執

 2011年2月12日(土)、津市で「藤堂高虎加藤嘉明の確執」という講演会があったので行って来た。今回、初めて津市まで電車で行った。
 早めに津市に着いたので、まずは海岸沿いにある「高虎ドッグ」に行く。まあ名前だけで高虎とは関係がないんだけど・・・。

(高虎ドッグの入り口にいた虎)

(高虎ドッグからヨットハーバーを望む)

(ランチセット。コーヒーは「高虎珈琲」らしい)

 食事を済ますと講演会会場の途中にある史跡(?)をぶらぶらする。

1.上宮寺・・・津市乙部5ー14。浄土真宗高田派。方広寺の鐘銘を草案した清韓文英の墓がある。
感想:前に来たけど、せっかく近くに寄ったのでご挨拶。案内版も何も無いのが寂しい。

(山門?)

(清韓文英の墓)


2.丸之内商店街・・・津市丸之内・東丸之内の国道23号沿い。津市に関係した人物の像が数体ある。
感想:念願の西嶋八兵衛の像が見られたのが嬉しかった・・・。初めて歩いて商店街を通ったのだが、結構変わったものがあるな。
(讃岐の安定に尽力した西嶋八兵衛の像。車だと歩道橋が邪魔して分かりづらい)

(気合いの入っている藤堂高虎の像。この兜はうさぎ年にはぴったりかも)

(大和郡山から連れてきた金魚。こういう高虎所縁の土地からのものが商店街には多数ある)

 ここで時間になったので会場に行く。今回の講演会の講師は三重大学の藤田達生先生。
 内容は・・・津市で行われる高虎関係の講演会では誰が講師でも同じなんですが、高虎とはあんまり関係がない話が多かったです(結局、高虎と嘉明については90分のうち30分くらい)。四国の戦国史とか私は面白かったけど、主題とはあまり関係が気がしました。むしろ長宗我部ファンの方が興味ある内容かも。
 講演会が終わった後は寒松院に行って高虎さんに挨拶して帰った。

本日の感想:講演会の度に何度も津市に行っているので行くところが無くなって来たな・・・。

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彦根城

住所:滋賀県彦根市金亀町1-1

 1603年、井伊氏が築城を開始し20年の歳月をかけて1622年に完成させた。元々、彦根には近くに佐和山城という石田三成の居城があったが、民衆に支配者が変わったことを印象付けるため、佐和山城を徹底的に破壊し彦根城が築城されたといわれている。明治維新まで井伊家が城主を務めた。
 維新後は解体されそうになったが明治天皇の一言で危機を免れる。現在は数少ない現存天守閣として国宝に指定されている。

(二の丸多聞櫓)

(堀)

(天秤櫓に向かう途中)

(天守)

(天守から見た琵琶湖)

コラム:春に行ったのでとにかく桜がきれいでした。この日は天守閣に入る人が多く上まで行くのにかなり並びました。ここで彦根城ストラップを買いましたが、ごっつくて邪魔だったので、すぐに外しました・・・。
 ※写真はその後に撮り直したものです。




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