山陰・山陽2500キロ史跡巡りの旅(2日目:竹田城・福知山城・出石城・京極マリアの墓)

 平成18年8月13日(日)、朝5時半に目が覚める。10時間ぐっすり寝た。まずはここ和田山にある城に向かう。和田山といえば、もちろん竹田城。張り切って6時半に出発。宿から近かったのですぐに到着。しかし霧がすごい・・・。取りあえず登ったが、何にも見えん。これを待てば竹田城名物の雲海が見られるのかもしれんが、保証がないので、いったん降りて福知山城に行って霧が晴れた後に来ることにする。

(竹田城本丸でシャッターチャンスを待つ人達。先がまったく見えません><)

 車のいない9号線を走ること45分。楽々、福知山城に到着。この頃になると天気が良くなってきた。

(福知山城復元天守)

 この時は開城前の8時半頃だったのだが、すでに複数の観光客がいたので、城の職員さんが特別に中に入れてくれた。この日は忍者展がメインだった。

(玄関にいた明智光秀と奥さん)

 一通り見た後、福知山城を去る。そしてもう一度竹田城へ。この頃は和田山も晴天。正直、竹田城自体はみんなが絶賛するほどではなかったと思うけど、保存状態も景色も良かったので満足でした。

(竹田城といえばこの構図)

(竹田城から見た下界)

 竹田城を満喫した後は実家に帰る方角とは違うけど、出石に向かう。出石は特になんかある訳じゃないけど、まあせっかくだしね。
 さすがにこの頃になると車が混み始めて出石に着くのに結構時間がかかった。出石で名物の出石蕎麦を食べた後、出石城に行く。ここで今回、初めてたくさんの観光客と出会う。近くに城之崎温泉もあるし、観光ポイントの一つなんだろうな。

(出石城)

 この山の山頂に出石城の前身・有子山城ってのがあったけど、面倒で登らなかった。碑だけは出石城を散歩中にあったので写したけど。これがあれば私には十分^^;
 そして豊岡へ。こここそ特に用があった訳じゃあないが、鳥取県にいると必ず聞く地名だったので行ってみたかった。用がないし関西に出る時通るわけじゃあないので行ったことがなかった。まあ一応、有名どころでは豊岡城と豊岡陣屋はあるしね。
 出石からすぐに到着(というか出石町も合併して今は豊岡市なんだけど)。そして豊岡城と豊岡陣屋に建つ豊岡市立図書館に車を停める。特に関心はなかったのでぐるっと廻っておしまい。

(豊岡城跡。碑もなかった)

 この時、暑さでかなり疲れていたので、休憩を兼ねて何かないかとついでに図書館の郷土資料のコーナーに寄った。
 そこで「京極マリア」という本を見つける。京極マリア・・・聞いたことがある気がする。京極家の一族なんだろう(当たり前か。この時はこの程度しか知らなかった)。そして、その本を読むと彼女の墓が豊岡市内にあるとのこと。しかもここからそう遠くない。そりゃあ行くしかないよね。ってことで、地図で調べてなんとか到着。
 お寺の墓地には大石内蔵助の奥さんの両親の墓の案内板などがあるばかりで京極家のはない。しかもお寺は無住・・・。

(確か真ん中が京極マリアの墓。あとは京極家の人達)

 これにて本日の史跡巡りは終了。後は実家に向かって帰るだけ。と思って車を走らせていたら、途中で長い鉄橋が見えてきた・・・。なんだあれ? みんなが車停めて見ているし。
 そう思って地図を見たら、お~、有名な余部(あまるべ)鉄橋じゃないか。ということで、私も降りて写真撮影。平成23年には新しくコンクリート製になるらしいから、これが見るの最後だろうなあ・・・。こっち方面は当分行かないだろうし。

(余部鉄橋)

(昭和61年の列車脱線事故の慰霊碑)

 帰る途中、バズーカのようなカメラを持った人達が山陰本線の列車が来るのを待ちかまえていた。すごいなあ・・・。後から親に聞いた話だと、ここで無くなる予定の「寝台特急いずも」が通り過ぎるのを撮るのが今の鉄道好きの流行らしい。
 まあそんな寄り道をしたり、日本海を眺めているうちに鳥取市に到着。うお・・・なぜか鳥取市が都会に見える・・・。そしてそのまま実家に帰りました。でも、私の旅はまだまだ続く。Engage!

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山陰・山陽2500キロ史跡巡りの度(1日目:丹波亀山城・丹波篠山城)

 今回は久々にお盆休みが取れた。しかも9連休。これは有効に使うしかないと、帰省ついでに史跡巡りをすることにする。しかし前日まで仕事が忙しくてあまり予定が立てられなかった・・・TT そこで有名どころ以外は諦めることにする。
 平成18年8月12日(土)、朝の5時半に家を出発。生まれて初めて帰省ラッシュ時に車で帰るので何時に出ていいのか分からなかったが、このくらいの時間ならいいかなと・・・。しかしすでに名神高速道路は小牧~米原まで渋滞。
 まあ、ここはいつものことなので下道で彦根インターまで行くことにする。下道は高速道路と違って車も少なくスイスイ。難なく彦根まで到着。そこから高速道路に乗る。それからもスイスイ。と思ったら京都南インターで大渋滞。
 これからが地獄だった>< 京都南から大阪の吹田まで50キロの渋滞! 吹田までは3時間以上かかるとのこと。これが帰省ラッシュの渋滞か・・・。並じゃないな。でも、私は次のインターの大山崎で降りるもんね。と、ちょっと余裕をかましていたら大山崎まで1時間以上かかった(>o<") 本当にかなわんかった・・・。  下に降りたのが10時過ぎ。ここからも渋滞。特に国道9号線(山陰道だと思ってください)に出る辺りが混み混みで、9号線に出たのが12時過ぎ。ここまでですでに6時間。くたくたになったけど実家に繋がっている道だと思うとちょっとだけうれしくなった。そしてやっと1つ目の目的地・京都府亀岡市の丹波亀山城(亀岡城)に到着・・・。  丹波亀山城は現在、大本教という宗教団体の本部となっているが、頼めば一部を見せてくれる。受付でお願いし、数秒ほどお祓いを受け、中に入る。 (丹波亀山城天守台の石垣。良く残っているのではないでしょうか)

 大本教の方には、祭りの準備にも関わらず、応対してくださってありがとうございましたm(._.)m
 次に目指すのは兵庫県篠山市。ここからは特に渋滞に巻き込まれず行けるが・・・今度は雲行きが怪しくなってきた。丹波篠山城に着いた頃には小雨が・・・TT
 ここは大坂城包囲網のために藤堂高虎が監督をして建てた城なので素人目に見ても完成度が高いのが分かる。

(丹波篠山城の石垣)

 ここで同じ篠山市にある八上城に行こうと思ったが、時間・体力・天候すべてが悪条件だったので、諦めることにした。この次の福知山城も同じ理由で諦めて翌日にすることにした。そこで、そのまま宿のある兵庫県朝来市(和田山)に向かう。
 宿に17時半に着き、風呂に入った後、あまりにも疲れたので19時半に寝た。

(宿の部屋。これで一人部屋。広い・・・)

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富士登山

 平成18年7月29日、富士山を登ることになった。私は本当に体力が無くて、人と山城に行ってもおいて行かれるくらいなので心配だったのだが、周りの人間から「富士山は体力が無くても登れる」と言われたので、それを信じて行くことにする。
 取りあえず、その週に人やネットで調べて準備をする。

準備したもの
・リュック・・・登山用のもの
・懐中電灯・・・夜間に登山するため
・水・・・ペットボトル500ml*4
・食事・・・非常食のお菓子とパン(栄養補給のため)
・軍手・・・ロープを伝って登るときのため
・着替え・・・山小屋で一泊するので
・ウェットティッシュ・・・山小屋には風呂はない
・カッパ・・・突然の雨に
・その他、小物をちょこちょこと

 7月28日、仕事が終わったらすぐに御殿場まで行き、そこで一泊。翌日、6時に起きて富士山に行く。五合目の駐車場はいっぱいだったため、数百メートルも下の道路に路上駐車をするように指示される。こりゃ四合目から出発と同じだな・・・--;

(五合目に向かう途中で見た下界)

 そして9:30に5合目に着き、朝飯を食った後、いよいよ登山口に。6合目までは道も緩やかですぐに着く。「こりゃ楽だな、思わせるのが狙いだな」と思っていたら本当にそうだった。
 続いてすぐに7合目に着く・・・と思ったら新7合目だった。それから徐々にきつくなっていく。足が重い・・・。

(七合目に向かう途中で見た空)

 7合目に着いた時点で息が切れていた。でも、ここに宿があるはずだからまあいいや、と思っていたが、どうやら友達が確認したところ、ここじゃなかったらしい。疲れて状況がよく分からなかったが、とにかく8合目を目指すことにする。ここからが辛かった。雨が降ってきて体温を奪われるし、体力は落ちているし。10分登って数分休憩するという感じだった。
 それでもなんとか13:30には8合目に到着する。この時、ものすごいスピードで登り8合目に着いていた友達が「7合目の宿は別ルートのだった。でも、ここの宿が取れたから」とのこと。まあ、何にしても良かった・・・。
 ここで濡れた服を乾かして(と言っても火がないので自然に乾くのを待つだけだが)、体を休める。夕方、天気が良くなってきたので、外に出て風景を見ようとすると・・・眼に飛び込んできたのは、男性二人の肩にもたれかかり、うつろな目をした高山病の女性だった・・・ーー; 女性には失礼だけど、こ、怖い・・・。高山病になるとああも悲惨なのか・・・。彼女はそのまま8合目の診療所に運ばれて行った。あの顔は忘れることができない。
 トイレに行った後、気を取り直して戻ると食事。量は少なかったが、食べられるだけありがたいと思うことにした。

(夕食のカレー)

 その後、18時に二段ベッドで寝る。ちなみに一つの布団で2~3人が寝ないと行けない。隣の子供が寝相が悪くてこっちに侵入してくるので、こっちも尻で押し返していた。4分の1の年齢の子供相手に本気で喧嘩。
 
 深夜0時、起きると御来光を見るために出発。そこで外に出るとまた悲惨な光景が・・・。宿に入れなかったのか、8合目周辺で震えて座る人達の群れがあった。途中でただ休憩しているだけの人もいただろうが、宿を予約せずに来て泊まれなかった人もたくさんいたに違いない。難民キャンプのようだった・・・。
 まあ、何にしてもとにかく出発である。ここから本当に本当にきつかった。私はすぐに足が重くなってほとんど進めなくなり、5~6メートル登ったら5分休憩というペースでないと動くことができなくなっていた。対して友達は自転車で名古屋から関西や四国に行っている強者なので、楽そう。ずっと助けられっぱなしだった。
「はい、あそこまで行ったら休憩」「はい、水飲んで」「こういうコースで登る」と行った感じ。あれ、これってどこかで見たことがあるぞ・・・。ああ、この前見た老人介護施設だ。
 「おじいちゃん、あそこまでがんばって行こうね」「おじいちゃん、水だよ」。ああ、年取るか大きい病気にかかると平地でもあんな感じになるんだろうな、と感じた。普段は元気なご高齢の方しか見ていないから気がつかないけど、健康って大事だなって思った。
 そんなこんなで介護してもらいながら、ひたすら登る。途中、本気でやめようと思った。特に最後の50メートルくらいが辛かったTT でも、気合い(と介護)でなんとか3:30頃に頂上に到達!!

(頂上の鳥居)

 そこで取りあえず座って息を整えていると・・・さむっ!! ぶち寒い!! 風がきついしシャレにならんくらい寒い。しかもここも頂上だけどさらに上があることが判明。せっかく来たので、友達に頼んで引きずってもらいながら一番上(富士山観測所)に到着。ここはさらに寒い・・・。0度くらいだったんじゃあないだろうか。しかし観測所の一角が開いていたので、そこに避難。中国系・韓国系・ヨーロッパ系の人達とひたすら御来光を待つ。
 そして待つこと30分。ついに御来光が・・・。




 おお、、、やっぱり来た甲斐があったというものだ。でも、死ぬほど寒い。そして御来光を拝むと、下山。足にガタが来ていたので、グデングデンになりながら下まで降りた。

(途中で見た雲海)

 そして8時頃、5合目に着くと食事をして帰る。家に着いて片付けが済んだら19時には寝た。そして起きたら朝の5時半だった・・・。
感想:富士山は登山好きの人曰く、楽な方らしいがそれでも日本最高峰。天気は変わりやすいし、高いので、油断はできない。食糧と水、防寒具は必須。冬用のジャンパー持って行ったけどそれでも頂上は信じられないくらい寒かった(でも今週辺りが一番暖かい時)。あと、高山病になるとすべて台無しなのでゆっくり自分のペースで登った方がやっぱりいいと思う。
 いずれにしてもいい思い出になった。二度と行きたくないけど。

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