山陰・山陽2500キロ史跡巡りの旅(4日目:坂崎出羽守の墓・津和野城)

平成18年8月15日(火)、実家に戻る前から私がなんとなく「津和野行きたいなあ~」って言ってたら、なんか本当に決まっちゃって行くことになりました。しかも私が無理矢理頼んで朝の7時に出発。
 「津和野って同じ山陰だからそんなに遠くはないんだろうなあ」って思う人もいるかもしれないけど、同じ島根県の松江市から200キロ離れている。ってことは、うちからは250キロ。広島や岡山に行った方が近いくらい遠い。だって津和野は山口市や萩市と隣だし・・・。ちなみに一応いっときますと、津和野町は島根県です。
 一緒に行くのは、何度も石見地方に行って向こうの情勢に結構詳しい人(仮名・イワミマスター)と、何度か通り過ぎたことがある人(仮名・ジョークラッシャー)。
 今回は遠いため、出雲までは山陰自動車道を使っていく。そこからずっと下道。ここからが遠い。山陰は田舎田舎言われるけど、米子~松江~出雲(中海・宍道湖ライン)はまだいい方でそこから先が急に建物が少なくなってくる。特に大田市に入ってからの9号線は道沿いに建物がほとんどないところが多く、ひたすら海山海山海山海山海山海山海山海山海山海山、が続く。FMも入らない・・・。
 入った、と思ったら聞き慣れない言葉・・・。あっ、韓国語だ。なぜか韓国語のFMの方が鮮明に入ったりする。8月15日だから電波を強くして日本に飛ばしまくっているのか・・・?
 そんなこんなで12時過ぎには津和野に到着。イワミマスターの予言通り5時間で着いた。さすがマスター・・・。駐車場に車を停めて食事をした後、史跡巡りを開始。
 まずは永明寺。ここはかの有名な森鴎外の墓がある・・・が、そっちは目当てではなくて今回は(今回も?)坂崎出羽守のお墓。
 寺にはすぐに到着したが、出羽守の墓が分からない・・・。墓地の周辺をうろうろしていると、全然関係ない方面に行っていたのが分かった。気を取り直して本堂に向かう。

(入り口付近にあった森鴎外の墓)

 本堂に行くと「坂崎出羽守はこちら」みたいな案内板があった。そちらに行くと・・・ありました。

(坂崎出羽守の墓。亡くなるときはさぞ無念だったでしょうね・・・)

 私がそうやってお墓を写していると友達二人は先にどんどん進んでいった・・・。進んでどうするんだよ~。墓なんか興味なかろうが。と思ってそっちに行くと、津和野の城主だった亀井家の重臣・多胡氏の墓があった。多胡氏はご存じの通り、亀井と同じ尼子の旧臣である。

(多胡一族の墓)

 一通り、見て回った後は、隣の永太院に行く。ここは亀井家の菩提寺(?)で歴代の城主のお墓がある。大坂の陣に関係があった2代藩主の亀井政矩の墓を探すのにかなり手間取って友達を待たせてしまった・・・。しかも本墓(こんな日本語あるのか?)である高台寺の写真はすでにあるのに・・・ーー; ごめんよ。あと、山中鹿之助の奥さんの墓もあった。

(山中鹿之助の妻の墓)

 それからイワミマスター君が行きたいと言った太鼓谷稲成神社に行く。よう分からんが日本五大稲荷神社らしいし、津和野城の麓にあるので私的にもちょうど良かった。
 登ると確かに伏見稲荷みたいに鳥居がいっぱいあった。なぜかジョークラッシャー君は鳥取県西部の人間の名前がないかどうか探していた。

(鳥居と石段)

 そしてかなりあった石段を登り本殿に着くと・・・あれ~?すぐ近くに駐車場がある。それを私がイワミマスター君に聞くと「うん、あるよ。前はそこに車を停めてきた。鳥居を登りたかったので」みたいな答えが返ってきた・・・。そげですか・・・ーー; まあ、でもすぐに車で行くより今回の方が楽しいかもね。

(太鼓谷稲成神社本殿)

 それから津和野城へ。津和野城は賤ケ岳などと同じように親切に(?)上までリフトが設置あるので、それで上に登る。

(リフトに乗っている最中の画像。ただし下りのもの)

 津和野城は近世と中世の城が同居しているような城だった。石垣の保存状態も良く城好きには評判のいい城らしい。リフトのおかげか観光客も多めだった。リフトなかったら、来ない人多いだろうなあ・・・。登ると30分かかるらしいし。

(津和野城の石垣)

 天守台に着くとバズーカカメラを持っている方々が。どうもここからSLやまぐち号が山口線を通るのを撮影するのが目的らしい。何かのマニアになって、それに情熱を傾けるのってすごいエネルギーだな・・・。石垣や汽車見るのに山登りしたりとか・・・。私もたった一つの碑を撮るために駅からかなり歩いたりしたりするし。
 私たちが天守台から去った後、下から汽笛の音が響いた。快晴だったので写真もばっちりだったことだろう。

(津和野城から津和野町を望む。中央の土手がJR山口線)

 そしてリフトを使って下山。それからは津和野の町をぶらぶらしていた。イワミマスター君は「津和野に来たら堀を泳ぐ鯉を撮影しなきゃ」と携帯電話で鯉を何枚か写していた・・・。そうなのか・・・? 私も分からないまま取りあえず鯉を撮ったが・・・他の公園にいる鯉を撮影するのと何が違うのだ・・・?

(津和野の町並み)

 やがて、そろそろ帰るということになり、土産物屋に寄った。そこで私が友達に「坂崎出羽守の本がないなあ」と言っていると、店の人が駅前の観光協会に売っていると教えてくれる。そこで観光協会に行って、そのまんまのタイトルの本を買う。そして帰路についた。
 ここからがつらい。何しろ同じ距離を反対方向に走れば福岡市に着くのだ。またひたすら海と山を見ながら走る(山陰の海岸側は大体そうだが)。途中、夕暮れとなった頃に浜田市の「ゆうひパークはまだ」という道の駅で休憩。ここから見る夕日もいいね・・・。

(夕日と浜田港)

 それから車を走らせ23時頃に自宅に到着。二人とも無茶な行程に付き合ってくれて、ありがとうm(._.)mm(._.)mm(._.)m
 これで今回の旅の前半戦が終了。今日はさすがに疲れた・・・が、明日もまた出かけます。



山陰・山陽2500キロ史跡巡りの旅(3日目その2:八重垣神社・宍道湖の夕陽)

 末吉城を去ると米子市に寄って蕎麦を食べ、さらに向こうの松江市に向かう。今回こそ、今回こそ!松江市の宍道湖の夕日を撮るために!でもまだ14時だったので、松江市周辺の寺社を廻ることにする。まずは親に「行ってみたら?」と言われた熊野大社。
 そこは昔は出雲大社より格式が高かったが、やがて衰退し江戸時代は出雲大社が3000石も与えられていたのに、熊野大社はわずか17石。しかし今でも立派ですよ。出雲一之宮だし。

(熊野大社)

 次は八重垣神社。スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、新居を構えた場所。「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」の歌で有名。また山陰人には八重垣平安閣で有名・・・かな?
 ここは若い女性が多かった気がする。縁結びの神社だからかな? というか山陰は縁結びの神様が多くないか・・・。

(八重垣神社)

 しかしこうやって山陰の神社を廻ると歴史が深いのが分かる・・・。調べたら面白いんだろうな。調べないけど。
 山陰と言えば、この日はちょうどFM山陰の開局20周年記念番組を朝からやっていた。あ~、昔は良く聴いていたね。「木もれ陽のアプローズ」とか仕事で車で走っている時に良く聴いていたよ。あと、AM(山陰放送)の「音楽の風車」とかまだやっているんだね。昭和30年頃からやっているから古くさいことこの上ない番組だけど、これを聴くと山陰に戻ったなあって感じがするなあ。
 って話はずれたが、八重垣神社の後は特に予定がなかったので、宍道湖の近くの喫茶店でゆっくりと待つ。そのついでに友達と連絡を取って明日の予定を組んでおいた。
 そして18時半、いよいよ夕日が・・・。宍道湖に行くとかなり人が集まっていた。天候もばっちり。

(宍道湖の夕陽)


 ああ・・・やっぱりいいねえ・・・。実家に帰るのと夕陽を見るために山陰に戻ったようなものだからな・・・TT
 と満足したところで、自宅に帰った。今回はこんな感じで余裕を持って廻ろうと思っている。何しろ全日、全力で廻っていたら休み明けに仕事にならなくなるしね。と思ってたら、翌日とんでもなく無理な予定が・・・。



山陰・山陽2500キロ史跡巡りの旅(3日目その1:大山寺・大山カラス天狗)

 平成18年8月14日(月)、実家で朝を迎える。でも、本日も史跡に行くことにした。最初は大山寺。子供の頃、たいまつ行列に参加したりなど、何度か行ったことがあったが、大人になってからはまったく・・・。それにどんなところかも忘れていたので。
 この日も晴れていたのだが、山に近づくにつれ雲行きが怪しくなっていく。まあ山だから仕方ないよね。
 駐車場に停めて、参道を通り、大山寺に着く。昔、ここは高野山や比叡山に匹敵するほどの霊山で、たくさんの寺院もあったのだが、今はわずかな寺社が残るのみ。

(大山寺本堂)

 それからそのさらに上にある大神山神社に向かう。この辺りから人が少なくなっていく。登るのが面倒くさいからだろうね。そんなこんなで到着。

(大神山神社)

 これで大山寺周辺は終了なので、戻ろうとした時、途中の左方向に「金門はこちら」という標識が・・・。よく分からなかったが、そちらに行ってみる。
 どうも切り立つ崖が両方にあるので、それを門に見立てているらしい。でも、どれが金門かはっきりと分からんかった。

(金門周辺。ちなみに下に流れている川のところが賽の河原。ここには幼い子を亡くした親が建てた石の塔がありました。ここを渡るとやはり死ぬんでしょうか・・・)

 車に戻って下界に降りるとやはり晴れてきた。そんな中見えてきたのが、天狗の像。なんだあれ!?と思って、ちょっと寄って写真撮影。

(大山カラス天狗。結構でかい)

 平成9年には出来ていたらしい・・・。全然気がつかなかった。
 次は下界降りたところにあった末吉城。山中鹿之助が吉川元春に破れて捕らえられた城。近くに尼子軍への使者として行ったが帰りに不意打ちを食らって無くなった地元の豪族・美甘与一右衛門を供養する美甘塚が加わってリニューアルオープンしていた。

(美甘塚)