出雲大平城(尼子再興軍の城)

●出雲大平城
住所:島根県松江市島根町大芦、島根県松江市東持田町
駐車場:なし
遺構:曲輪など
標高:501メートル/比高:375メートル

 尼子再興軍の拠点・真山城から北東に約3キロの地点にあり、当城から北に約4キロある加賀港までのルートを確保するために築城されたと思われる。元亀2(1571)年、真山城から敗走した尼子勝久が逃げ込んだという。
 地元の伝承では、追い詰められた山中鹿介が籠もったが水の手を断たれてしまった。そこで鹿介は馬を白米で洗って水があるように見せかける。しかし落城し尼子兵は撤退中に毛利軍の追撃を受け、城の北東で大勢が討ち取られた。その場所が奥谷の千人塚と呼ばれているという。
 この頃、鹿介は伯耆末吉城で戦っており白米伝説も各地にあることから信憑性は低いが、毛利軍の追撃で多くの兵が亡くなったのは事実を語っていると思われる。

(中国自然歩道になっており道は整備されている。登山客に人気の山のようだ)
中国自然歩道

(山頂にある主郭。山頂から南西方向を見ているので、どれかの山が真山城だと思うが…)
主郭

主郭

主郭

(東に下ってみる。歩道より若干広めの平地がいくつかあったので、これが曲輪群のようだ。土橋らしき遺構もあった)
東

東

東

東

(登ってきた西に戻る。こちらも広くなっている場所があった。写真だと歩道にしか見えないと思う。竪堀がこの辺りにあったらしいが確認できなかった)
西

感想:山頂の東西に少し曲輪があるだけの簡単な造りの城でした。ここを抜けようとする毛利側の人間を通さないようにする関所のようなものだったのか、真山城が危険になって急遽造ったものだと思われます。




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