土佐窪川城(仁井田五人衆の一人・窪川氏の居城)

●土佐窪川城(茂串城、繋石山城)
住所:高知県高岡郡四万十町西原、金上野
駐車場:?
遺構:曲輪、堀切、畦状竪堀群、土塁、虎口
標高:371メートル/比高:163メートル

 茂串山の山頂に築かれており茂串城や繋石山城とも呼ばれる。西に流れる四万十川の水運を押さえるために築かれたと思われる。明応9(1500)年、相模国鎌倉の山内から山内備後守宣澄が来て窪川氏を名乗り拠点としたという。四万十川上流の高南台地を中心とした地域は仁井田郷(仁井田庄)と呼ばれ、当地を治めた有力な五つの家を仁井田五人衆と呼び窪川氏もその一つだった。窪川氏は津野氏、土佐一条氏、長宗我部元親に仕えたが朝鮮出兵で戦死し断絶している。その後、元親の家臣・八木正久を城番としたが、関ヶ原の戦いで長宗我部氏が改易されると廃城となり、山内氏の重臣・林氏(山内氏)は麓に土居を構えた。

(登山口近くに建つ三熊野神社)
三熊野神社

三熊野神社

三熊野神社

(登山口付近に建つ林氏(山内氏)の墓所。初代の林勝吉は織田信長の重臣・林通勝の三男で山内一豊に仕えて家老となっている)
林氏(山内氏)の墓所

(北東の曲輪に到着)
北東の曲輪

北東の曲輪

北東の曲輪

(上記の曲輪の先にある二重の堀切)
二重の堀切

二重の堀切

(北東と主郭を結ぶ細長い曲輪)
細長い曲輪

細長い曲輪

(細長い曲輪と主郭の間にあった堀切)
堀切

(主郭の虎口)
虎口

(主郭。周りが土塁で囲われている)
主郭

主郭

主郭

主郭

(主郭の西にある曲輪)
西にある曲輪

西にある曲輪

西にある曲輪

(西から南にかけて畦状竪堀群がある)
畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

(南の曲輪)
南の曲輪

(北の曲輪群)
北の曲輪群

北の曲輪群

北の曲輪群

北の曲輪群

北の曲輪群

感想:登山口が荒れており道を見つけるのに難儀しました。山に取り付くと林になっているため雑草があまりなく城域が分かっていれば苦労はありません。



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