根石山祐傳寺(築山御前の首塚)

●根石山祐傳寺
住所:愛知県岡崎市両町2丁目56
駐車場:あり

 浄土真宗高田派。天正7(1579)年、松平信康と築山御前が自害を強要されると投町(なぐりちょう、現在の岡崎市朝日町と若宮町)の領主・柴田正親が殉死する。正親の次男・六郎は信康と築山御前の菩提を弔うため出家し、法名を祐(遊)傳坊了慶とし、投町に当寺を創建した。『三河聡視録』によると徳川家康が神明宮の別当を命じたという。
 慶長6(1601)年、伊奈忠次から2石の黒印状を受けた。正保3(1646)年、岡崎城主・水野忠善から現在地への移転を命じられ石高も5斗減らされる。その後、当寺の四世が幼少のため衰微し宝永年間(1704~11年)には寺領を失い、伽藍の修理ができず太子堂のみが残った。だが天保年間(1830~44年)に伊勢から来た僧・良道が再興。明治44(1911)年には本堂が再建されている。

(鐘楼門に見えたが鐘がない。大正12(1923)年に再建された)
門

(本堂)
本堂

(築山御前の首塚)
築山御前の首塚

参考文献:愛知県の地名、岡崎市史 第7巻

感想:雨の中での撮影で苦労しました。この近くに住んでいたので、その時に参拝しておけばよかったです。
 岡崎おでかけナビには「築山殿の首は信長の実検を受けた後、徳川家康の家臣・石川数正がその首を持ち帰りこの祐傳寺に葬ったとされています」とありましたが、岡崎市史などには記載がありませんでした。寺伝でしょうか・・・。


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