岡崎市・豊田市史跡巡り2011(その2:鴛鴨松平氏墓所、隣松寺、三河上野城)

4.鴛鴨(おしかも)松平氏墓所・・・豊田市幸町隣松寺。熊野神社の東にある。
感想:当地区(末野原)の史跡を守る会があるらしく整備が行き届いていたのには感動した(地元の方から見向きもされず荒れ果てている史跡も多いので)。訪問時も地元の方が草取りをされていて、お話の後に手作りのパンフレットまでいただいた。ありがとうございました。またお邪魔します。

(全景)

(鴛鴨松平氏先塋(祖先の墓)之碑)

(榊原康政の祖父・清長と父・長政の墓。松の木が墓だと伝わっていたが枯れたため、榊原家の菩提寺・隣松寺の住職が建立された)

(徳川家康の四男・松平忠吉の養母だった於美津の墓。遺命で当地に葬られた)

5.隣松寺・・・豊田市幸町隣松寺126。鴛鴨松平氏・榊原氏の菩提寺。1563年、三河一向一揆の際には家康が三河上野城攻撃の拠点としている。

(仁王像)

(本堂)


6.三河上野城・・・豊田市上郷町藪間。上野上村城。1467年、伊勢貞親の被官・戸田宗光が築城。松平氏を経て酒井忠尚が城主となる。しかし忠尚は三河一向一揆に味方したため、家康に攻められ城を追われている。
感想:来たのは5度目かな? 岡崎方面に知り合いが史跡巡りに来る度に案内しているので。また来ることになる気がする。

(城址碑と城山稲荷社)

(榊原康政生誕之地の碑。これを見せるために毎回来ている)


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岡崎市・豊田市史跡巡り2011(その1:寺部城、渡辺守綱の墓、徳川家康渡船之所)

 2011年8月19日(金)、今回も西三河での三河武士関係の史跡巡り。名鉄豊田市駅でSさんと合流すると史跡巡りスタート。今日は小雨が降っているので涼しい。

1.寺部城・・・豊田市寺部町1。文明年間(1469~1487年)、鈴木重時によって築城。その後、尾張徳川家の家老だった渡辺家の居城(陣屋)となる。現在は土塁・堀などが残っている。
感想:周辺が新興住宅地になっていた以外は2007年に訪れた時と史跡は何も変わっていない。

(徳川十六神将の一人・渡辺守綱を祀る守綱神社。1880年に創建)

(土塁の跡に建つ城趾碑)

2.守綱寺(しゅこうじ)・・・豊田市寺部町2丁目27。渡辺家の菩提寺。
感想:山門が工事中だった。私は何度も来ているから良かったけど、Sさんは残念だったんだろうな…。

(工事中の山門。工事前のものについてはこちらをご覧下さい)

(渡辺家の墓。奥に見えるのが守綱の墓。ここは蚊が多く、露出している箇所を刺されまくったので痒くてたまらんかった…)

 その後、私が我慢できなくなって早めの昼飯をとる。食事中に雨も止み史跡巡りには最適な気候となった。


3.徳川家康渡船之所・・・豊田市配津町十六通。桶狭間の戦いに敗北した今川軍の部将・徳川家康は故郷の岡崎に撤退。その際、矢作川を渡河したのがこの場所だと伝わる。

(碑)

(碑のある場所から見た矢作川。対岸は岡崎市。右に見える橋は東名高速の矢作川橋)


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岡崎市史跡巡り2011(後半:広忠寺・家康公見返りの大杉・板倉勝重公生誕地)

4.広忠寺・・・岡崎市桑谷町堀切29。1562年、徳川家康が、父・広忠の菩提を弔うため創建。家康と同年同日に生まれた異母弟が住職となる。

(山門)

(本堂)

(右から広忠の側室・於久、広忠、於久と広忠の子・忠政の墓)


5.天恩寺・・・岡崎市片寄山下33。臨済宗妙心寺派。1362年、足利義満が足利尊氏を遺言を守り創建。戦国時代には奥平家・徳川家の庇護を受ける。

(山門)

(家康公見返りの大杉。長篠の戦いの直前、長篠に向かう家康は当寺で一泊。翌日、寺を出て再び長篠に向かう最中、延命地蔵に呼び止められた。家康が馬を止めて振り返ると近くの大杉から武田の刺客が矢を射るところだった。難を逃れた家康は何度もその大杉を見返ったので「見返りの大杉」と呼ばれるようになる)

(石垣)

(薬医門。国指定重要文化財)


 ここで自宅に帰ろうかと思ったが、まだ時間があったので帰りしなにちょろちょろっと史跡に寄った。

6.板倉勝重公生誕地・・・岡崎市小美町深萩。個人宅の庭にある。


7.大平古城・・・岡崎市大平町中天。室町時代の初期に發知氏が築城。戦国時代、發知氏は松平清康に仕えるがのちに帰農した。現在、遺構はなく碑があるのみ。


 そのまま、近くの岡崎インターから自宅に帰った。
本日の感想:家康公検定が近いので、今月と来月は岡崎市の史跡を廻って体で覚える予定。

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