織田信長のふるさと勝幡城(国府宮神社・蜂須賀城・福島正則生誕地)

 2011年2月20日(月)、稲沢市で行なわれた「織田信長のふるさと勝幡城」に行って来た。
 早めに着いて時間があったので、先に有名な国府宮神社に行ってみた。

1.国府宮神社・・・愛知県稲沢市国府宮1ー1ー1。正式名称・尾張大国霊神社。尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として信仰されている。2月15日に行なわれる「はだか祭り」が有名。
感想:祭りでもないのに結構な人がいた。観光名所だから当たり前か・・・。

(鳥居)

(楼門)

(拝殿)


 それから講演会会場の稲沢市民会館大ホールに向かう。大ホールの広さに驚いた・・・。稲沢市がそんなに大きな市ではないので、もう少し小さいものを想像していたのだが。
 12時50分からオープニングセレモニーの太鼓が始まる。

 その後、開会式。稲沢市長なんかの挨拶があった。
 そしていよいよ講演会。最初は作家の桐野作人さん。信長公記などの内容を分かりやすく解説しながら、信長のやんちゃぶりや自ら模範を示して兵士を鼓舞したことなどを講演された。
 続いて愛西市学芸員の石田泰弘さん。信長の出生地には諸説ある中で、那古屋城説・古渡城説の問題点を指摘され、勝幡説の論拠を示された。ああ、確かに納得。
「これを皆さんで広めて下さい」
 石田さんが力説されていたけど、問題はどこで生まれたという以前に、戦国時代が好きでも信長に興味がない人は「どこでもいいんじゃない?尾張なのは間違いないんでしょ」くらいの感覚しかないことかも・・・。
 講演会が終わると続いて太鼓や踊りの予定が入っていたが、興味がなかったため、会場を途中退出して近くの史跡を廻った。

2.勝幡城・・・稲沢市平和町六輪城之内。信長の祖父・信定が商業都市・津島を押さえるために築城。川を利用した大規模な城だったという。信長の領地拡大と共に不要となり廃城となった。現在は碑が建つのみである。
感想:今回の講演会の主題だったので来てみた。かなり整備されたなあ・・・。講演会の主催をした「信長生誕を育む会」が整備に力を入れているようだ。

(2004年6月に行った際にうち捨てられていた看板)

(2011年2月。碑は同じだが、周りの雑草が抜かれ土台・看板が新しくなり案内版もあった)


3.蜂須賀城・・・あま市蜂須賀。築城年代・規模共に不明。蜂須賀小六はここで生まれたという。
感想:2003年・2004年に来ているが何も変わっていないなあ・・・。

(蜂須賀城址と蜂須賀小六の碑)

(蜂須賀家の菩提寺・蓮華寺)


4.福島正則生誕地・・・あま市二ツ寺屋敷。
感想:ここも7~8年前と何も変わっていなかった。

5.菊泉院・・・あま市二ツ寺屋敷。鎌倉時代以前に創建。福島正則が清洲城主時代に50石を与え菩提寺と定めた。正則の肖像画・書簡・位牌などがある。

(山門)

(福島正則の供養塔)

(菊泉院の隣にある正則コミュニティセンター。宴会やってそうな雰囲気の名前だな・・・。ご存じの方も多いでしょうが、近くには正則保育園・正則小学校があります)


 暗くなってきたので史跡巡りは終了。大人しく家に帰った。
本日の感想:講演会は稲沢まで来て聴く価値があった。同じことを何度も書いている気がするが、その武将に興味があるなしに関わらず、詳しい方の話を聴くのは勉強になる。好きな武将とも間接的に繋がっていることもあるし。

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尾張史跡巡り2011(後編:前田城・下之一色城・荒子観音・前田利家公初陣之像)

12.前田城・・・中川区前田西町一丁目。築城年代は不明。前田氏の祖がこの地に来て城を築いたという。前田利家はこの城で生まれ七歳で荒子城に移ったといわれるが、定かではない。1584年、小牧・長久手の戦いで徳川軍によって落城し破壊された。現在、速念寺が建っている。

(山門前に建つ城趾碑)

(いつ見ても素敵な本堂。兜を模しているらしい)

(前田城主・前田與十郎の墓。小牧・長久手の戦いで、織田・徳川連合軍は降伏条件として滝川一益に與十郎の首の差し出しを要求。それに応じた一益の手の者によって與十郎は殺害されている)


13.下之一色城・・・中川区下之一色町。前田與十郎が庄内川を利用し築城。小牧・長久手の戦いでは利家の娘婿・長種が守っていたが、織田・徳川連合軍に攻撃されて開城。長種は利家を頼って加賀に落ち延びている。現在は正色小学校内に碑が建つのみ。

(平成16年に移設された碑。以前は新川沿いにあったらしい)


14.荒子城・・・中川区荒子4丁目。1544年、前田利昌が築城。利昌の子・利家が越前に移った際に廃城となった。かつては周囲に堀が巡らされ西には小川も流れていたが、現在は宅地化が進み遺構はない。跡地に天満宮が建っている。

(天満宮。碑はないが説明版がある)

(前田利家卿誕生之遺址。高さ3メートルほどの巨大なものだった。こちらが利家の出生地という説が一般的)

15.荒子観音・・・中川区荒子町宮窓138。729年に開基。円空仏(円空という江戸前期の僧が彫った素朴な仏像。円空は12万体の造仏を発願し諸国を遍歴し各地に残している)の寺として有名。1576年に前田利家が再建した。
感想:ここに行くって知り合いに話したら「円空仏は絶対に見ないといけない」と言われたけど、結局見ませんでした・・・。私には仏像の美しさが分からないので。

(仁王門。電線が気になるが仕方がない・・・。左の多宝塔は国の重要文化財)

(本堂)

16.前田利家公初陣之像・・・あおなみ線荒子駅前。2007年に建てられた。
感想:存在は以前から知っていた。しかしいつでも行けると思って、いつまでも行かなかった。
(駅側から撮影)

(駅方面に向かって撮影。右に写っているスーパーは生鮮食品が安いらしい。自分で値段を確認したことがないので情報が正しいかどうか分かりませんが)


17.御所屋敷・・・昭和区御器所3丁目。豊臣秀吉の出生地は中村が通説だが、秀吉の母・大政所がここに住んでおり、秀吉を生んだとの説もある。
感想:屋敷とは関係ないが地名の「御器所」は「ごきそ」と読み、熱田神宮の神事に用いる土器を作っていたところから来ているらしい。

(屋敷跡に建つ碑と祠。ご覧の通り、住宅街の片隅にひっそりとある)

(碑の側面には大政所が持萩中納言の娘という説(詐称?)があるため、伝・持萩中納言の邸宅と刻んである。持萩中納言という人物そのものがいなかったようだが・・・)


 これにて終了。

本日の感想:短い時間ながら結構廻れたかな。ほとんどが以前に訪問したところだったが、前はデジカメの性能と腕が悪かったため(腕は今でも良くなっていないが)、撮り直したかったので廻ってみた。

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尾張史跡巡り2011(中編:浅野屋敷・増田屋敷・長束屋敷・清洲城)

7.比良城・・・名古屋市西区比良3丁目。天文年間に築かれた佐々氏の居城。佐々成政の出生地といわれる。当時は東西68メートル、南北72メートルの堀が巡らされていた。清洲城を守る重要な城だったが、1575年に成政が越前に移ると廃城となる。現在は光通寺が建っている。
感想:山門が建て直されていた。

(2004年6月時点の山門)

(2011年2月のもの)

(佐々成政城趾の碑。手前の宝篋印経は佐々成政の供養塔。2004年訪問の際に見た記憶がない)


8.浅野屋敷・・・稲沢市六角堂東町。長光寺の南。浅野長政の養父・長勝の屋敷跡。東西90メートル、南北30メートルの広大な敷地だったが東海道本線開通の際に分断されている。
感想:前に来た時は堀もある立派な公園だったような・・・と思ったら一宮市の浅野長政屋敷跡と勘違いしていました。

(屋敷跡。左のフェンス内にあるのが碑)

(屋敷跡の北に建つ長光寺の地蔵堂)


9.長束屋敷・・・稲沢市長束町沙弥。長束正家の屋敷跡。ここが出生地といわれているが、近江出身説もあり定かではない。


10.増田屋敷・・・稲沢市増田町字屋敷。増田長盛の屋敷跡。この辺りが出生地と言われているが、近江出身説もあり定かではない。神社の中に碑が建っているが、正確な屋敷跡の場所は不明。

(八幡社)

(碑)


11.清洲城・・・清須市朝日城屋敷1-1。室町時代に尾張守護職・斯波氏が築城。織田信長の居城として知られる。1610年に徳川家康が尾張の首都を清洲から名古屋に移すよう命じたため、清洲城は廃城。この時の移城は「思いがけない名古屋ができて、花の清洲は野になろう」と歌われた。
感想:ここも大河ドラマ「江」所縁の史跡のようなことが書いてあるパネルがあった。

(古城碑)

(素敵な顔抜き看板と模擬天守)

(相変わらずかっこいい織田信長の像)


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