尾張史跡巡り2011(後編:前田城・下之一色城・荒子観音・前田利家公初陣之像)

12.前田城・・・中川区前田西町一丁目。築城年代は不明。前田氏の祖がこの地に来て城を築いたという。前田利家はこの城で生まれ七歳で荒子城に移ったといわれるが、定かではない。1584年、小牧・長久手の戦いで徳川軍によって落城し破壊された。現在、速念寺が建っている。

(山門前に建つ城趾碑)

(いつ見ても素敵な本堂。兜を模しているらしい)

(前田城主・前田與十郎の墓。小牧・長久手の戦いで、織田・徳川連合軍は降伏条件として滝川一益に與十郎の首の差し出しを要求。それに応じた一益の手の者によって與十郎は殺害されている)


13.下之一色城・・・中川区下之一色町。前田與十郎が庄内川を利用し築城。小牧・長久手の戦いでは利家の娘婿・長種が守っていたが、織田・徳川連合軍に攻撃されて開城。長種は利家を頼って加賀に落ち延びている。現在は正色小学校内に碑が建つのみ。

(平成16年に移設された碑。以前は新川沿いにあったらしい)


14.荒子城・・・中川区荒子4丁目。1544年、前田利昌が築城。利昌の子・利家が越前に移った際に廃城となった。かつては周囲に堀が巡らされ西には小川も流れていたが、現在は宅地化が進み遺構はない。跡地に天満宮が建っている。

(天満宮。碑はないが説明版がある)

(前田利家卿誕生之遺址。高さ3メートルほどの巨大なものだった。こちらが利家の出生地という説が一般的)

15.荒子観音・・・中川区荒子町宮窓138。729年に開基。円空仏(円空という江戸前期の僧が彫った素朴な仏像。円空は12万体の造仏を発願し諸国を遍歴し各地に残している)の寺として有名。1576年に前田利家が再建した。
感想:ここに行くって知り合いに話したら「円空仏は絶対に見ないといけない」と言われたけど、結局見ませんでした・・・。私には仏像の美しさが分からないので。

(仁王門。電線が気になるが仕方がない・・・。左の多宝塔は国の重要文化財)

(本堂)

16.前田利家公初陣之像・・・あおなみ線荒子駅前。2007年に建てられた。
感想:存在は以前から知っていた。しかしいつでも行けると思って、いつまでも行かなかった。
(駅側から撮影)

(駅方面に向かって撮影。右に写っているスーパーは生鮮食品が安いらしい。自分で値段を確認したことがないので情報が正しいかどうか分かりませんが)


17.御所屋敷・・・昭和区御器所3丁目。豊臣秀吉の出生地は中村が通説だが、秀吉の母・大政所がここに住んでおり、秀吉を生んだとの説もある。
感想:屋敷とは関係ないが地名の「御器所」は「ごきそ」と読み、熱田神宮の神事に用いる土器を作っていたところから来ているらしい。

(屋敷跡に建つ碑と祠。ご覧の通り、住宅街の片隅にひっそりとある)

(碑の側面には大政所が持萩中納言の娘という説(詐称?)があるため、伝・持萩中納言の邸宅と刻んである。持萩中納言という人物そのものがいなかったようだが・・・)


 これにて終了。

本日の感想:短い時間ながら結構廻れたかな。ほとんどが以前に訪問したところだったが、前はデジカメの性能と腕が悪かったため(腕は今でも良くなっていないが)、撮り直したかったので廻ってみた。

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