大坂の陣オフ(2日目)

 『大坂の陣オフ会』の二日目、2003年5月4日10時、近鉄古市駅で待ち合わせる。メンバーは、真田丸さん(真田派)・としゾーさん(長宗我部派)・佐助さん(三好派)・河内判官さん(楠木派)・私の5人。こういう時は遅刻をする人がいるもの。佐助さんが10時半になるということで30分ほど駅で4人で立ち話。
 佐助さんが来られたところでまずは夏の陣の道明寺の戦い・後半戦で豊臣軍が陣を敷いた誉田八幡宮に向かう。

誉田八幡宮にある誉田林古戦場碑

誉田八幡宮にある誉田林古戦場碑:ここに薄田兼相が陣を敷いてこっから道明寺方面に出撃して討死をした、と説明文に書いてありました。なんか他にも古墳とかあったけど興味ないので写真すら写さず。

 次は後藤基次がこだわりまくった小松山に向かう。けっこうな距離があったが歩いて目的地を目指す。こうしないと距離感が分からないしね。

石川

石川:小松山に向かう途中で渡った石川。ここで豊臣軍は徳川軍に鉄砲でばんばん狙い撃ちにされたそうな。火器が少ない豊臣軍は手も足も出なかったそうです(T-T)

に・人形?

に・人形?:そんなこんなで小松山の隣、玉手山公園に到着〜♪ まず私達を迎えてくれたのが彼等。駅とかによるある顔を突っ込んで写真をとるやつですね。
 みんな話していたのですが、これのターゲット層が分からない、、、。だって又兵衛とか知っているのって中学生以上だし、こんなのやるのって小学生以下だし、、、。重なる部分がないもんヾ(^^;

 誰も顔を突っ込んで写真を撮らないまま人形の前を通り過ぎ、山の上にある資料館に行く。ここで大坂の陣関係の情報を見る。他にも五月人形みたいなのがあったけど素通り。そして歴史の広場に到着。2年ぶりに来ました。

又兵衛のしだれ桜

又兵衛のしだれ桜:前に撮ったけど違う角度でまた撮ってみました。他にも写真を撮ったけど道明寺に載せているので今回は載せません。

小松山古戦場の碑

小松山古戦場の碑:体育館のようなところの横にありました。

小松山

小松山:大坂夏の陣での激戦地です。又兵衛ここでがんばってたのね、、、。

奥田忠次の墓

奥田忠次の墓:小松山で後藤隊に撃破され戦死した奥田忠次のお墓。やはり勝ち組のだけあって立派なお墓です。他にも同じくここで戦死した山田某さんの墓があるそうですが場所が分からず断念。

 これにて道明寺は終了です。国分駅近くでうどんを食べた後、いよいよこの日のメイン八尾へ。そう、大坂城一の名将・長宗我部盛親が活躍・活躍・大活躍の八尾の戦いの舞台です。近鉄で移動し久宝寺口で降りると、久宝寺小学校へ向かう。盛親が八尾での戦いで敗れて久宝寺まで撤退したときに物見をするために登った松があるところです。

長宗我部盛親物見の松

長宗我部盛親物見の松:2年半ぶりに来ましたが、すっかり綺麗になってるぅ〜〜\(◎o◎)/ でも『長宗我部』と呼び捨てなのは相変わらず−−
 としゾーさんは『秦盛親』と書いてあったのがポイントが高いと言われていました。が、私は同じ長宗我部ファンなのに「あ〜、そんな風に書いてあるね」って思うだけ。この無頓着さ、どうにかならんもんでしょうか。
 あと、この松はもちろん当時の物ではありません。他の4人が言っていたようにこんなもんに大男の盛親が乗ったら絶対に折れます。

 そして気がすんだ後、常光寺を目指しました。その途中に長瀬川があったのでまたも撮影。

長瀬川

長瀬川:再び写した長瀬川。当時の面影まったくなし。私も含めてみんなで「こんなところで陣を構えたら突撃できないよな〜。盛親智将じゃあないじゃん」などと散々言ってました。当時は高い堤防もあってちゃんと陣を敷ける場所だったんだよぅ〜(・_・、 って見たことあるわけじゃあないけどさ(-。-)
 ここで一句『歴史好き、見てきたような、ことを言い』。な〜んてね。

常光寺

常光寺:そして着いた常光寺。八尾の戦いでの激戦地である。前回は門を写しただけだったので今回は中を。

 そしてお寺の奥様にお会いしういろうをお渡しした後、血天井と藤堂家七一士のお墓を見せてもらうことに(この時、一人で玄関の方に向かったら、犬にわんわん吠えられて、河内さんに「あいつ、なんしとんや」と呆れられることに、、、。え〜ん、前は犬がいなかったんだよ〜。確か、、、−−;)。

血天井

血天井:藤堂軍が討ち取った長宗我部兵を板の上に載せて首実検し、それを天井にしたもの('-'*) その血の痕はズームしてもよく分かりません。

藤堂家家臣七十一士の墓

藤堂家家臣七十一士の墓八尾の戦いで名将・長宗我部盛親とあたったゆえに戦死してしまった71人の方のお墓。手前が部将クラスの6人(藤堂氏勝藤堂高刑藤堂良勝藤堂良重桑名一孝と、、、あと一人誰だっけ? 調べるの面倒だからパス)です。しかも数えると墓石が7つあるし−−; 六将って聞いていたのになあ〜。どれが誰の墓なのかはよく分かりません。

 次に向かったのは高塚地蔵。そこは八尾の戦いで長宗我部軍と藤堂軍の開戦地で、長宗我部の先鋒・吉田内匠(長宗我部家の家老だったそうな。『よしだたくみ』って読むんだそうです。ずっと『ないしょう』さんかと思っていました−−;)と藤堂の先鋒・藤堂家信が戦った場所です。そこまでは遠かったので八尾駅からバスで移動。八尾北高校のすぐ近くにありました。

高塚地蔵

高塚地蔵:ここに隠れていた吉田内匠が家信が来た時にひょこっと顔を出して、「えいっ!」って槍で襲ったけど、逆襲に逢い討ち取られてしまっています。でも内匠さんも最後に家信の足を切りつけ戦闘不能に追い込んでます。

 その後は歩いて木村重成の墓に移動。そこで「重成の墓の横にある山口左馬助って誰?」って話になってましたがこの人です。ちょっと隠しキャラっぽい雰囲気が、、、。サマリンごめんねm(._.)m
 そして次はすぐ近くの山口重信のお墓に向かう。そこに向かう途中、共同墓地の入り口で私が門に頭を『ゴ〜〜ン』ってぶつけてしまいました(>o<) みんなに「大丈夫?」って何度も聞かれるくらい派手な音でした。その時も痛かったけど宿に帰ってから頭を洗ったときに鈍い痛みが、、、。こぶが出来てしまっていたようです(>_<)
 そしてそして今度は木村重成陣所跡に行った後、木村重成の銅像に行きました。

木村重成の銅像

木村重成の銅像:う〜ん、微妙な銅像、、、−−; ちなみにここで集合写真を撮りました。ただし三脚がなかったので私がカメラマンで他の4人を写しました。

 これにて2日目の日程は終了〜♪ 皆さんを飯島三郎右衛門の墓に案内した後、鶴橋に向かいました。そしてお仕事と奥様とお子様の待つとしゾーさんとお別れし、残りの4人は食事に向かいました。そこでお話をした後、解散。2日目も充実していました。

コラム:2日目はほとんど一度行ったところだったのですが、それでも新しい発見があって楽しかったです。写真も綺麗に撮れ直せたし\(^0^)/ それに長宗我部ファンのとしゾーさんとも会えたし♪ 長宗我部ファンの人と会えたのはこまるさん以来二人目。ああ、、、なんという人気の無さ(; ;)
 さて最終日は安居神社での『真田祭り』です。最終日の皆さんは真田ファンの方々ばかり。果たして長宗我部ファンの私は孤立せずにすむのか!? ちょっとした不安を抱えながら5月5日を迎えた、、、。


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