吉川広家終焉之地(吉川広家隠居屋敷跡)

●吉川広家終焉之地(吉川広家隠居屋敷跡)
住所:山口県岩国市通津(字・本呂尾)
駐車場:なし

 元和8(1622)年、岩国藩の初代藩主・吉川広家が当地で屋敷の普請を開始し翌年に移り住んだ。屋敷には親交のあった広島藩士・上田宗箇(重安)から進上された大石があり茶の間の踏み石に使っていたという。寛永2(1625)年9月に広家が没すると息子の毛利就頼が熊毛郡平生町の天徳寺を移して海前寺と改称し広家の位牌を安置した。寺には就頼の生母・松本様が居住するが寛永19(1642)年に亡くなる。当寺は寛文7(1667)年に平生町宇佐木に移され、元禄16(1703)年に就頼の系統である大野毛利家の菩提寺になった。明治初年、柳井市阿月の岩休寺に合併されている。

(入口)

(寺の跡地になるのか分からんがお堂があった。隣にあったという豊巌寺の跡かもしれない)
お堂

お堂

(参道と呼んでいいのかな)
参道

(碑とその周辺。碑は昭和40(1965)年9月、広家の340回忌に通津満月会が建立した。周囲の五輪塔は寺の名残で広家とは関係が無い?)
碑

碑

参考文献:山口県の地名、岩国市史 上、平生町史

感想:ご覧の通り、入口の辺りで業者が工事をされていたので声をかけてから入りました。