八坂神社(祇園社。大内氏や長州藩から庇護を受けた神社)

●八坂神社(祇園社)
住所:山口県長門市仙崎祇園町1342
駐車場:あり

 祭神は奇稲田媛命、素戔嗚尊、蛇毒気神。霊亀2(716)年、遣唐使の吉備真備が唐で素戔嗚尊の霊験を感じ、帰国後に聖武天皇の勅宣により青海島(当社の北側の島)の王子山に創建されたと伝わる。建保4(1216)年、大風によって倒壊したため洲崎(同市仙崎洲崎町)に移転した。康生(1456)年、長門の小守護代の家柄である南野備前守資綱が縁起を奉納している。大内氏が支配した時代には祭礼時に能を奉納する習わしがあり、その頃のものと伝わる5面の能面(市指定有形文化財)が社宝としてある。天文20(1551)年には大内義隆が太刀などを奉納した。
 南野備前守資綱の子孫は、近世に瀬戸崎浦の鯨組(鯨漁の組合)の網頭として活躍している。瀬戸崎鯨組は正月の鯨突きぞめ儀式では「祝いめでたや若松さまよ、枝も栄える葉も茂る」などと唄いながら祇園社に参拝した。寛文12(1672)年に瀬戸崎の大火で被害を受けたため、延宝6(1678)年に長州藩の費用で現在地に移転している。長州藩の時代には藩主が湯本などでの入湯や狩りの際に参拝し初穂料の奉納を行った。明治2(1869)年に祇園社から八坂神社に改名している。
 社宝として上記の能面の他に近世後期に奉納された捕鯨絵図(市指定有形文化財)がある。毎年7月下旬に行われる仙崎祇園祭は一週間にわたって行われ、素戔嗚尊が胡瓜畑に入って難を逃れた古事から祭りの期間中は胡瓜を食べてはならないとされている(同様の風習が各地に残っている)。

(南の鳥居)
南の鳥居

(境内の稲荷神社)
稲荷神社

稲荷神社

(昭和12(1537)年に寄進された手水舎)
手水舎

(東の鳥居。こちらが正面だった)
東の鳥居

(このミニ鳥居が何なのか分からんかった)
ミニ鳥居

(拝殿とその中)
拝殿

拝殿

(幣殿と本殿)
幣殿と本殿

参考文献:山口県の地名、山口県の歴史散歩、長門市史 歴史編、長門市史 民俗編
、現地の案内板

感想:駐車場が分からず神社の周りをグルグル回っていた記憶があります。



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