住所:徳島県吉野川市山川町古城
1534年、阿波牛岐城主・新開氏の一族である市原兼継が築城。兼継は1579年の脇城外の戦いに三好軍として従軍したが、長宗我部軍に敗れ城も落とされたため自害している。
当時は北の螢川を天然の守りに利用し、西と南に堀があった。現在は墓地と大師堂になっているが土塁などの遺構も残っている。
感想:遺構は城に疎い私でも分かるくらいにしっかりと残っていましたが、一般の方の墓地になっているため写真が撮りづらかったです。
住所:徳島県吉野川市山川町古城
1534年、阿波牛岐城主・新開氏の一族である市原兼継が築城。兼継は1579年の脇城外の戦いに三好軍として従軍したが、長宗我部軍に敗れ城も落とされたため自害している。
当時は北の螢川を天然の守りに利用し、西と南に堀があった。現在は墓地と大師堂になっているが土塁などの遺構も残っている。
感想:遺構は城に疎い私でも分かるくらいにしっかりと残っていましたが、一般の方の墓地になっているため写真が撮りづらかったです。