山陰帰省&史跡巡り(その3:石見銀山・鰐淵寺)

【石見銀山】1月4日、友達が付き合ってくれるというので石見銀山へ。友達は史跡なんてこれっぽちも興味がないので、松江すらほとんど行ったことが無く(買い物なら米子ですむし。逆に大阪・東京には車でよく行っているらしい)、私が石見銀山のある大田市まで案内する。まあ9号線まっすぐ行けば行けるんだけどさ。
まずは銀山・・・に行く前に会津騒動で会津40万石から石見に大減封されてしまった加藤家の陣屋(吉永陣屋)に。しかし陣屋の後は見つからず大体の場所だけ撮影して去る。
そしていよいよ石見銀山に。とは言っても4年半ほど前に一回行ってたんだけどね。
代官所跡、大久保長安の墓、龍源寺間歩(銀山の坑道)などを行く。まあ・・・こんなもんだね。山吹城も行きたかったけど友達と一緒だからやめました。

(坑道内部)

【泣いて日本海】石見銀山を後にして出雲市で食事をした後、鰐淵寺に向かう。ここは毛利氏の庇護を受けたことで戦国に関係があるけど、どっちかというと南北朝の時代に後醍醐天皇に頼られたことで有名。あと弁慶が修行したこともあるらしい(こっちは疑わしい気がする)。まあもっと言うとどれも普通の人には知られておらず、紅葉の季節にはいいくらいしか知られていないけどね。
ここまで行くには出雲市から二種類の道があり、一つは出雲大社経由で山を越えて行くのと、もう一つは簸川郡を通って廻っていく道。近そうだったので私は出雲大社経由を選ぶ。これがとんでもないところで、出雲大社参りで渋滞はしとるは、山を越えて鷺浦の集落に出たら道が狭いわ・・・。友達よ、ごめんなさい。こんな私を許してください!

(道の途中の海岸。道は北は日本海で南は山。火曜サスペンスで犯人が罪を認める場所みたいなところだった)

そんなこんなで鰐淵寺に到着。紅葉の時期じゃないから誰もいない。ここはちょいちょいと撮影して終了。

(鰐淵寺)

この旅行の最中に友達に私が目的地がどんなところが話すが「へ~~。どうでもいいや、そんなこと。アニメの話を一般人がされたらこんな感じなんだろうね(友達はアニメマニア)」とのこと。納得。まあ、どの戦いが実はどうだったとか、あの人物は実はこうだった、とか言われても一般人にはどうでもええわな。生活に関係ないし、金にもならんしーー;



山陰帰省&史跡巡り(その3:石見銀山・鰐淵寺)」への1件のフィードバック

  1. 成人式で久しぶりに会った友達との会話。

    お互いに大学の授業でこんなことやってるって話たけど、同じく相手にとってはどうでも良いことだから「ふ~ん、わからん」でお互い終了。万人共通ってのは難しいもんですね。

    それなのに、アニメや漫画の話になると大抵は意気投合出来るから不思議でしょうがありません。(相変わらず歴史で投合できる友達は一人もいない)

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