月山富田城には何度も行っているので、この時は塩谷口から登頂して、帰りは尼子晴久の墓に出るという計画を実行した。変わったコースだと思う。
(駐車場の自動販売機。水の手を断つとは流石は元就・・・。事前に買っておいたけど。隣の自動販売機は稼働していたし)
(真っ直ぐ登るのも面白くないので塩谷口の向かって左側(北)に行ってみた。曲輪群と石垣があったがいつの時代のものかは私には分からない。もっと奥まで見学したかったが竹藪があってやめた)
(今度は少し登って向かって右側(南)に行ってみた。こちらにも曲輪があった。塩谷口を登ってくる敵を左右から攻撃するのかな、という想像をしていた)
(山中御殿に到着する直前、開けた場所に出た。ここでも狙い撃ちされるのか?)
(塩谷口を登り切ったところにある石垣と北側に現存する土塁。本来は繋がっていたのかな)
(塩谷口から七曲がりに沿って登ってみたら曲輪らしきものがあったが、これも私の知識では当時のものか分からない)
(あとの登りはいつもの月山富田城で七曲がりを登って三の丸から本丸を歩いた)
(本丸から尼子晴久の墓の道を下りる。20年ぶりだったが、相変わらず石の道と落ち葉などで非常に危険だった。途中にあったこの神木はなんだろうか)
(最後は尼子晴久の墓に参拝してお終い。駐車場に戻った。いやあ、ええ運動になりましたわ)
感想:当たり前ですが、月山富田城が山城であることを改めて認識しました。
歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。