埼玉県史跡巡り2010(2日目後編:足利政氏の墓・内藤家歴代の墓・忍城)

20.蕨城・・・蕨市中央4-21。南北朝時代に渋川氏が城主を務める。1525年前後、扇谷上杉家に攻められ落城。江戸時代初期に徳川将軍家の鷹狩休憩所として御殿が建てられた。現在は蕨城址公園として整備され堀跡・土塁の一部が残る。

(城趾碑)


21.甘棠院 ・・・久喜市本町7-2。古河公方・足利政氏が1519年頃に隠居した館跡。寺は政氏の子(弟とも)が開山したといわれる。
感想:「拝観時間は15時までです」と聞かされていたので、今日はここにあわせてスケジュールを組んだ。12時半に着いたので問題なく入れた。

(寺の周辺にある空堀)

(足利政氏館跡)

(足利政氏の墓)

22.善宗寺・・・久喜市菖蒲町下栢間2639。徳川家康の重臣で栢間を治めた内藤家の菩提寺。
感想:案内板も何も無く、お寺の方も不在だったためお墓に辿り着けないかと思った。しかし宝篋印塔のそばに倒れていた卒塔婆に「内藤家」という文字を見つけ歴代の墓だと分かった。

(内藤家歴代の墓)

23.菖蒲城・・・久喜市菖蒲町新堀菖蒲。古河公方・足利成氏が家臣の金田則綱に築城。小田原征伐後に廃城となった。現在は菖蒲城趾あやめ園になっている。内藤家が構えた栢間陣屋の移築門がある。菖蒲城の遺構はない。
(栢間陣屋の移築門)

(菖蒲城趾あやめ園全景。写真の右の林に碑がある)

24.騎西城(私市城)・・・加須市騎西町根古屋633-2。築城者・築城年ともに不明。1455年に上杉軍らが守る当城を足利成氏が攻略したのが初見である。上杉謙信の関東攻略の際に二度攻められている。やがて忍城の属城となるが、小田原征伐後、徳川家康の家臣の城となる。1632年に廃城。現在は1975年に建てられた模擬天守と僅かな土塁が残るのみ。
感想:模擬天守は資料館となっているようだが、開館は期間限定。

(模擬天守)


 今回は廻る史跡の数が多かったため、急いで廻ったらこの時点で14時半。日が落ちるのが早いにしても中途半端な時間である。そこで明日廻る予定だった忍城に向かった。

25.忍城・・・行田市本丸。1479年頃までに成田氏によって築城された。小田原征伐の際、石田三成の水攻めに耐え「城が浮かぶ浮城ではないか」と呼ばれた。徳川家康の関東移封後は松平信綱など譜代の家臣が城主を務め明治維新を迎えている。近年は『のぼうの城』の舞台として注目を集めている。
感想:忍城おもてなし甲冑隊さんが観光客のお出迎えしていた。あとは資料館の前で特産物が売っていたくらいしか記憶にない。

(本丸跡の碑。現在、ここは駐車場になっている)

(復元された御三階櫓)

(外堀だった水城公園)

26.高源寺・・・行田市佐間1-2-9。忍城の城将として奮戦した正木丹波守が戦没者を弔うために開山した。

(1981年に建てられた忍城水攻め戦没者慰霊碑)

(正木丹波守利英の碑)


 日が落ちてきたので、ここで終了。加須市のホテルにチェックインしてゆっくりした。
本日の感想:甘棠院に行くためにいくつかの史跡を飛ばして廻った。そのせいで時間が余ってしまい、翌日行く予定だった史跡を前倒しで廻ったのだが、それが後日幸いすることになる。
 土地勘のない県での史跡巡りは予定を立てるのが難しいのう。

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