津川城(金上盛備・藤田信吉所縁の城)

住所:新潟県東蒲原郡阿賀町津川

 鎌倉時代から東蒲原郡地方は会津領に属していた。1252年、会津の蘆名氏の一族・藤倉盛弘が標高195メートルの麒麟山の天険を利用して築城する。岩山で狐も登れないことから狐戻城という別名がある。
 城主は盛弘の後裔である金上氏が務め越後からの守りを固めた。金上氏の中では1589年の摺上原の戦いで伊達政宗を相手に奮戦した盛備が良く知られている。政宗が蘆名氏を滅亡させると当城を支配するが小田原征伐で豊臣秀吉に降伏したため、会津の地は蒲生氏郷に与えられ氏郷の家臣が入る。1598年、会津に上杉景勝が移封されると藤田信吉が城代となった。1627年、加藤嘉明が会津に移封されると幕府の命で廃城となり、以後津川の地には会津藩の代官が置かれた。
 現在は県の指定史跡となり麒麟山公園として整備されている。

(麒麟山全景。手前に流れるのは常浪川。麒麟山は阿賀野川と常浪川に挟まれており築城に適した場所にある)

(鶴ヶ沼。駐車場のすぐ近くにあり、ここから本丸を目指した)

(門跡)

(写真だと雑草でよく分からないが搦手口土塁跡)

(侍屋敷跡)

(城側から見た常浪川)

(空堀跡)

(二の曲輪跡)

(麒麟山城址碑)

(麒麟山狐戻城の碑)

(金上盛備の顕彰碑のようだ)

(展望台から見た阿賀野川(中央から右)と常浪川(左))

(金上盛備などを祀っている金上稲荷。ここから山頂に行けるのだが危険らしいので止めた)

(石垣)

(出丸)

(本丸)

感想:ここが越後と陸奥のどちらだったか分かりませんでした。越後でありながら会津領だったのかもしれません。


写真の提供についてはこちらをクリック


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA