平等寺薬師堂(将軍杉)

住所:新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷2013

 曹洞宗。995年、平維茂が阿賀野川を下った際に見つけた黄金の薬師如来像を安置するための堂を建立したのが始まりと伝わるが定かではない。1517年、永源により再建された。本尊の薬師如来像は戦後に盗難に遭い紛失したため新たに作成されている。
 堂内には戦国時代に訪れた参詣者の落書きが残っており、御館の乱の際、越後に侵攻して上杉景勝軍に敗退し当寺に逃げ込んだ蘆名氏の兵が残した連名の墨書もある。

(入り口)

(鐘楼)

(薬師堂。桁行5.4メートル、梁間7.2メートルの寄棟造で屋根は妻入りの茅葺きである)

(将軍杉。会津藩主・保科正之が陸奥鎮守府将軍・平維茂を偲び樹下に墓碑を建てたことからこう呼ばれるようになった。村人が杉を切って船を作ろうとしたしたところ一夜にして地面に沈んだという伝説が残る。日本一の大杉だそうだが、高知県の大豊の大杉とどちらが大きいのだろうか)

感想:蘆名兵の連名の墨書が見てみたかったです…。しかし何のために残したのだろうか。「蘆名参上」みたいな意味、ではないでしょうね。


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