鹿児島県史跡巡り2009(5日目後半:鹿屋城・高山城・志布志城・秋月種実の墓)

62.鹿屋城・・・鹿児島県鹿屋市北田町にある。別名、亀鶴城。鎌倉時代の記録が残る古い城。鹿屋氏の居城であったが、没落後は島津家の城となり、その後廃城となった。一部は城山公園となっており、空堀などが残る。

 この後に鹿屋航空基地史料館に行こうと思ったが、時間が無くなりそうなのでやめた。知覧特攻平和会館に行ったしな・・・。

63.高山城・・・鹿児島県肝属郡肝付町新富本城にある。高山は「こうやま」と読む。島津氏と大隅の覇権を争った肝付氏の居城。島津氏に屈服するまでここを本拠地として大隅半島を支配した。国指定重要文化財で、土塁・空堀・曲輪跡などが良好に残っている。
 かなり大規模な城。城好きは一見の価値有り。時間の関係で全部は廻れなかったのが残念。ただし交通の便が悪く公共交通機関で行くのはかなり大変。

(入り口はこの碑よりもうちょっと先。駐車場もある)



64.肝付氏累代の墓(盛光寺跡)・・・鹿児島県肝属郡肝付町前田にある。肝付氏の8代・兼重から17代・良兼までの墓がある。
 車で次の目的地に行く途中にたまたま見つけた。

65.志布志城・・・鹿児島県志布志市志布志町帖にある。新納氏・肝付氏などの居城であったが、一国一城令で廃城となった。南北朝・戦国時代の戦乱で規模を拡大し、鹿児島県内屈指の山城となっている。荒れてはいるが、遺構が随所に残っている。
 竹が倒れていたりなど、通りにくいところは多いが、遺構が良く残っており、ここも城好きにはたまらない。

66.肝付兼続の墓・・・鹿児島県志布志市志布志町志布志2丁目にある。戦国時代に肝付氏に繁栄をもたらした名将・肝付兼続の墓である。息子に家督を譲った後、志布志に隠居し、ここで亡くなった。現在は公園の一角に墓がある。
 でかかった。

 ここから宮崎県です。

67.西林院・・・宮崎県串間市西方2714にある。九州攻めで島津軍に味方し、日向高鍋に減封された秋月種実の墓がある。
 ここが非常に分かりづらい。近所の方に聞いたところ、たまたまご存じの方がおられて何とか辿り着けた。また西林院までの道が狭い・・・。

68.櫛間城・・・串間市大字西方にある・・・らしいが、場所が分からなかった。ので、写真はない。
本日はこれで終了。

感想:かなりの距離を走ったのでかなり疲れた。予想はしていたものの予定を詰め込み過ぎたので、鹿屋航空基地史料館も断念せざるを得なかった。
 明日はいよいよ最終日です。

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