鹿児島県史跡巡り2009(5日目前半:宇喜多秀家潜居跡・藤崎家武家門)

平成21年3月7日(土)、霧島市のホテルを出発。

56.宇喜多秀家潜居跡・・・垂水市辺田にある。薩摩に逃げた宇喜多秀家が自首するまで住んでいた屋敷跡の碑。

57.居世神社・・・垂水市居世神にある。薩摩に潜居していた秀家が毎日参詣したという神社。秀家所縁の品があったらしいが、すべて無くなったという。
 普通の神社だった。秀家に関する碑などはなかった。

・埋没鳥居・・・鹿児島市黒神町にある。1914年の大噴火で埋没した鳥居。噴火のすさまじさを物語っている。

58.藤崎家武家門・・・鹿児島市桜島藤野町にある。関ヶ原の戦いから戻った島津義弘が蟄居した場所。1601年4月から2ヶ月ほど住んでいた。
 ここだと桜島が噴火した際、危ないんじゃないんだろうか。海沿いなので船を用意していたとは思うが。
 あと宇喜多秀家の潜居跡と近いので、何度か会っていたんじゃないかという勝手な想像をしてみた。会っても雑談だけで関ヶ原のことは語らなかっただろうが。

(蟄居跡近くの海)

59.長門城・・・鹿児島市桜島横山町にある。桜島港のすぐ近く。平安時代に築城された城で、戦国時代には島津家の家臣・鎌田氏が在番している。現在は桜島自然恐竜公園となっている。
 遺構があるかどうか分からなかった。碑すらなかった。
(ご覧の通り、市民の憩いの場)

(景色は抜群。鹿児島市と桜島港)

60.殿加神社・・・垂水市田神上ノ平添にある。垂水島津家の始祖・忠将を祀る神社。
 近所の方が誰も来ないと思い、ドーベルマンをロープを取って自由に散歩させていたので怖かった・・・。こっちに気がついて向かってきた時はかみつかれるかと思ったよ。

61.垂水島津家墓地(心翁寺跡)・・・垂水市田神上ノ平添にある。1599年から明治維新まで垂水を治めた垂水島津家の墓地。
 駐車場が狭く、道も狭いため、車を停めるのに難儀した。

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鹿児島県史跡巡り2009(5日目前半:宇喜多秀家潜居跡・藤崎家武家門)」への4件のフィードバック

  1. >柳葉さん
    秀家の屋敷跡、ちゃんと碑が残っているだけでも嬉しかったです。
    遺品はどうも盗難などで徐々に無くなっていったようです・・・。

    桜島でも放し飼いがありましたよ。あっちじゃあ結構当たり前のことなんでしょうねえ・・・。

  2. 秀家史跡をお写真で拝見できるとはっ(><、)
    遺品が無くなってしまったのは残念です。
    災害や戦争で無くなったのでしょうか?

    ドーベルマンの放し飼いは怖いですね(TT)
    人がいなさそうな場所でも、危険ですよね・・・。

  3. 秀家と義弘は何度か顔を会わせていたと思うんですよね。
    内心で関ヶ原のことを考えながら、たわいもない話をしたりなんかしてたのかなあ、って勝手に想像してます。

    志布志市志布志町志布志、私も調べたときに「えらい志が続く住所だなあ」って思いました。前は曽於郡だったので、良かったのですが、珍地名になっちゃってますね。

  4. 秀家と義弘の邂逅はロマンがあっていいですね〜。
    「おお、ご近所でしたか」みたいな。

    志布志市志布志町志布志って、ひとつ跳びに「志」がある法則なんですね(笑)

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