障子ヶ岳城、向山城(大内氏遺臣が蜂起した城)

●障子ヶ岳城、向山城
住所:山口県山口市糸米、荻町、緑町
駐車場:なし
遺構:曲輪、竪堀、など
標高:障子ヶ岳城/118メートル/比高:98メートル、向山城/95メートル/比高:75メートル

 障子ヶ岳の北西にあるのが障子ヶ岳城、南東にあるのが向山城と呼ばれている。創建年代は不明だが大内氏の政治の中心だった上宇野令地区を守るために築かれたと思われる。弘治3(1557)年、大内氏の遺臣が大内義隆の息子・問田亀鶴丸を担ぎ上げ障子ヶ岳城で蜂起したが、同じ大内氏の遺臣で毛利元就に従っていた内藤隆春によって鎮圧された。

(障子ヶ岳城。単郭でその周りを帯曲輪がある単純な構造)
障子ヶ岳城

障子ヶ岳城

障子ヶ岳城

障子ヶ岳城

障子ヶ岳城

障子ヶ岳城

(向山城の最北西にある曲輪)
最北西にある曲輪

最北西にある曲輪

最北西にある曲輪

(向山城の竪堀)
竪堀

(下の縄張図の曲輪Ⅰ)
曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

(下の縄張図の曲輪Ⅱ)
曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱ

(曲輪Ⅱの北東にある曲輪)
北東にある曲輪

感想:なぜか翌日に行こうとした周南市の積木山城、積木山東城と勘違いしその縄張図を見ていたため、向山城で混乱してしまい上手く遺構が撮影できませんでした。

(縄張図)
障子ヶ岳城の縄張図

向山城の縄張図



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