南陽山賢忠寺(福山藩主・水野家の菩提寺、水野家墓所)

●南陽山賢忠寺
住所:広島県福山市寺町4-24
駐車場:あり

 曹洞宗。元和8(1622)年、福山藩主で徳川家康の従兄弟・水野勝成が父の忠重の菩提を弔うため創建。愛知県刈谷市にあった水野家の菩提寺・楞厳寺の僧の能山芸を招いて開山とした。当初、山号は護国山だったが草書のため萍国山に見え水野家が3代以降は早死にして遂には改易されたことから「護国山ではなく危うき国だ(萍は浮き草と読み、人の世の定めないことに例えられる)」と噂になり、南陽山に改号したという。
 昭和20(1945)年の福山空襲で焼失したが、その後に再建された。本尊の無量寿如来は平重盛の念持仏と伝わり、他にも忠重や勝成の肖像画や勝成の遺品などが寺宝としてある。
 北側には水野家墓所がある。もとは現在地より南側にあったが昭和32(1957)年に都市計画で現在地に移された。

(竜宮門になっている山門)
山門

(本堂。ちらっと見える遊具は境内にある幼稚園のもの)
本堂

(水野家墓所)
水野家墓所

(水野勝成の墓)
水野勝成の墓

(水野忠重の墓)
水野忠重の墓

感想:夕方に参拝したので広い境内に誰もおらず寂しい気持ちになったのを覚えています。この頃は先行きが不透明な時期だったのもあるかと思います。
 当たり前ですが水野家墓所も賢忠寺の境内です。



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