前橋城(厩橋城)

住所:群馬県前橋市大手町1-1-1

 古く前橋は厩橋と称していた。利根川(当時の車川)に架けられた橋の近くに駅家(うまや)があり「うまや一の橋」と呼ばれたのが起源だという。15世紀末、長野氏によって築城された。戦国時代には上杉謙信の家臣・北条(きたじょう)高広が城代となるが、謙信死後は武田勝頼の支配下となる。
 1582年、武田氏が滅亡すると織田信長の家臣・滝川一益が入るが、本能寺の変で信長が亡くなると一益は城を追われ北条(ほうじょう)氏が入った。1590年、徳川家康が関東に移封されると平岩親吉が入る。1601年、親吉が甲斐に移ったため酒井重忠が入った。その際、家康が「汝に関東の華をとらす」と言ったのは有名な話である。その後、酒井家が150年に渡って支配したが、1749年に播磨姫路に移封され松平氏が入る。しかし利根川の洪水で城の破壊が進んでおり1767年に廃城となった。
 1867年、再建されるがすぐに明治維新となり、県庁になっている。元禄年間(1688~1704年)、厩橋城から前橋城に改名している。

(本丸跡に建つ群馬県庁)

(三の丸跡の土塁に建つ城趾碑)

(土塁)

(聖酒造株式会社の清酒・関東の華)

感想:城とは関係無いですが、群馬県庁の駐車場の入出庫システムが近未来的で驚きました。さすが関東の華…。


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