●伊予湯築城
住所:愛媛県松山市道後公園
駐車場:あり(有料)
遺構:曲輪、土塁、濠
標高:71メートル/比高:31メートル
建武年間(1334~38年)、河野氏が築城したという。興国3(康永元、1342)年、南朝方の忽那義範と土居通世に攻められている。天文11(1542)年、娘婿の来島通康を後継者にしようとする弾正少弼通直は反対する家臣団や予州河野家の通存と争い、通直は湯築城を攻められ来島城に避難したがやがて帰城した(天文伊予の乱)。
天正13(1585)年、豊臣秀吉の四国攻めが始まると河野氏は小早川隆景に降伏。その後は隆景、福島正則に利用されるが、正則が伊予国分城に居城を移したため廃城になる。
現在は道後公園として整備され国指定史跡になっている。
(なんとなく岩崎神社から自然石を登って山頂(本壇)の展望台まで行った。そんなことをしなくても階段で行ける)
(明治時代まで道後温泉で使われていた石造の湯釜。湧出口にあったもので、この中に浸かるわけではない)
感想:写真は2度目のものですが前に来た時のイメージより大規模な城でした。これだけの中世城郭が都会の中心に残っているのが驚きです。しかも松山市内には近世城郭の伊予松山城も現存しているので「お城王国・松山(勝手に名付けた)」です。
昔のことで資料がどこにいったのか分かりませんが、松山城の加藤嘉明に対抗するため藤堂高虎が湯築城を利用したとの記載があった記憶があります。
ここで駐車券を落として最大料金を請求されそうになり「終わった・・・」と悩んでいたら、ボランティアの方が拾って駐車場まで届けてくれました。ありがとうございます! 大好き、松山市!