三輪神社(名和長年と尼子経久によって焼失した神社)

●三輪神社(名和長年と尼子経久によって焼失した神社)
住所:鳥取県米子市淀江町小波631
駐車場:あり

 祭神は大物主命、速須佐之男命、少名毘古那命。近世に書かれた『三輪神社縁起書』によると崇神天皇7(BC91)年、諸国で疫病が流行り鎮めるため大和の三輪山(大神神社)の神・大物主命を勧請したという。創建当時は三輪山東の宮広峰にあった。薬師寺という神宮寺もあり広大な境内を持つ神社だったが、元弘3(1333)年に小波城が名和長年によって落とされると兵火で社殿、宝物、古文書が焼失する。戦国時代には尼子経久の侵攻によって焼失した。そのため衰退し正保2(1645)年、現在地に移転する。
 近世には鳥取藩主・池田家から崇敬を受け社領が寄進された。福田庄大社と称していたが、安政7(1860)年に中間庄大社に改める。

(鳥居)
鳥居

(燈籠)
燈籠

(参道と拝殿)
参道と拝殿

(本殿)
本殿

(良縁占いの石。眼を閉じて願い事を心で唱えながら、無事に向こうの石に辿り着けると願いが叶うという。危ない気もしますが誰か挑戦してみてください)
良縁占いの石

良縁占いの石

(旧境内の三輪山にあった礎石)
礎石

(境内社の一つ・八幡神社)
八幡神社

(阿弥陀堂の近くにある五輪塔や宝篋印塔。圃場整備で集められ、小波城主・大石橋五郎左衛門と関係のある墓ではないかというが・・・うーん・・・)
五輪塔や宝篋印塔

五輪塔や宝篋印塔

阿弥陀堂

参考文献:鳥取県神社誌、現地の碑、鳥取県の地名、国語大辞典(新装版)

感想:現在の三輪神社に改めた時期が不明でした。現地の碑に「明治2年国史現在社」とあるので、この時ではないかと思うのですが。



伯耆岸本要害(播磨別所氏の城?)

●伯耆岸本要害
住所:鳥取県西伯郡伯耆町岸本

 播磨別所氏の一族が築城したと伝わるが真偽は不明。

(城址碑)
城址碑

(要害と南側との谷間。かなり深い)
谷間

(曲輪(1)の南の土塁)
曲輪(1)

曲輪(1)

曲輪(1)

曲輪(1)

(Aの虎口と土橋)
虎口と土橋

虎口と土橋

(Aの東西にある堀)
堀

(曲輪(2)と(3))
曲輪(2)と(3)

曲輪(2)と(3)

曲輪(2)と(3)

(北側の台地との間には谷があり川が流れている。ちなみに北側の台地の字名が蛇ヶ谷なので、ここが蛇ヶ谷なのだろう)
蛇ヶ谷

蛇ヶ谷

(曲輪(1)の中心部。藪になっていてほとんど分からない)
曲輪(1)の中心部

(曲輪(1)の西)
曲輪(1)の西

曲輪(1)の西

曲輪(1)の西

(曲輪(1)の西にある窪んだ箇所。西も崖になっているが南北よりは緩い)
窪んだ箇所

(別所長治を祀る祠)
別所長治を祀る祠

(城域の東側。こちらが城を攻撃する際の侵入経路で(2)(3)の曲輪に出るが、現在は冬以外は藪が酷くて入れない。写真は3月だが、この時でギリギリ入れるという状態だった)
城域の東側

感想:歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。

(縄張図)
縄張図



賀茂神社(名和長年ゆかりの神社)

●賀茂神社
住所:鳥取県西伯郡大山町加茂477
駐車場:なし

 祭神は別雷尊、稚日女尊、素戔嗚尊、玉依姫尊。以前は加茂大明神と称していた。創建年代は不明だが、元弘年間(1331~1334年)、名和氏の産土神(生まれた土地の守護神。近世以降は氏神と混同)で名和長年が船上山の戦いの直前、戦勝祈願のため剣二振と祈願書を納めたと伝わる。元和4(1618)年に再興され、当時は加茂郷二十二村の氏神だった。明治元(1868)年、糺大明紳を合祀し、大正元(1912)年に古林神社と東谷神社を合祀している。

(一の鳥居)
一の鳥居

(二の鳥居と随神門)
二の鳥居と随神門

(狛犬と以前の鳥居の名残)
狛犬と以前の鳥居の名残

(拝殿、幣殿、本殿)
拝殿、幣殿、本殿

(社殿と神木)
社殿と神木

社殿と神木

(おまけ。同地区にあったウシオの看板。現在も貸衣装を生業としているらしい)
ウシオの看板

参考文献:鳥取県の地名、名和町誌、鳥取県神社誌

感想:東谷神社のあった場所の字が天皇だったので由来が気になっています。東谷地区は分かりましたが、字天皇の場所が不明でした。東谷地区に神ノ前という字が残っているので、その辺りに東谷神社があり以前は天皇という字名だったのかもしれませんが詳しいことは分かりません。
 名和長年が納めた剣二振と祈願書が『鳥取県神社誌』には現存するとありましたが、現在もあるか不明です。