丈六寺(後半:蜂須賀家の家臣の墓など)

 丈六寺(前半:伽藍や血天井など)の続きです。

(国の重要文化財・観音堂。1056年の創建で、1567年に阿波守護・細川真之が修築している。1648年、蜂須賀忠英が再建した)

(東根源右衛門親宜の墓(写真中央)。1622年、最上家が改易されると蜂須賀家に預けられ、のちに重臣となっている)

(親宜の妻で最上義光の四女・禧久姫の墓(写真中央))

益田豊後長行の墓)

(鷲敷城代・山田織部宗重の墓(中央))

林能勝(道感)の墓)

(蜂須賀家政の娘・辰の墓)

稲田稙元の墓)

稲田示稙の墓)

(新開道善の霊廟)

(廟の中に建つ道善の墓)

感想:二度ほど行きましたが、何時行っても雰囲気のいいお寺です。
 阿波守護・細川真之は三好家の傀儡のようなイメージがありましたが、これだけの伽藍を整備したのですから衰えたとはいえある程度の権力はあったのでしょう。


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丈六寺(前半:伽藍や血天井など)

住所:徳島県徳島市丈六町丈領32

 曹洞宗。阿波の法隆寺と呼ばれる古刹。672年の創建と伝わる。1466年、応仁の乱で活躍した細川成之が中興し、江戸時代には蜂須賀家の庇護を受けている。
 長宗我部元親が牛岐城主・新開道善を騙し討ちにした際、飛び散った血のついた縁を天井に用いた血天井が有名である。

(一の門)

(二の門)

(国の重要文化財・三門。阿波守護・細川真之によって建立された和唐折衷の門。1957年に解体修理されている)

(国の重要文化財・本堂。蜂須賀家政が娘・辰の供養のために方丈を再建したもので、明治時代以降に本尊の釈迦如来を安置したため本堂と呼ばれるようになった。屋根は入母屋造の本瓦葺き)

(国の重要文化財・経蔵。1568年、細川真之が僧堂として建立し、1727年に経蔵にされた際に正面にあった向拝(神社や寺院の正面で、屋根を前に張り出した場所。参拝者が礼拝するところ)が撤去されたと伝えられる)

(徳雲院。1537年、阿波守護・細川持隆が瑠璃殿を寄進。その後、持隆の子・真之が父の法号をとって寺号を徳雲院としている。1892~1897年までの間、小学校が開設されている)

(徳雲院の回廊にある血天井)

(細川家の墓。右から持隆・成之・真之)


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