稲田稙元

(いなだたねもと)

生没年:1545〜1628年/ 身分:蜂須賀家の家臣/ 官位(通称、号):左馬亮

稲田稙元の供養塔
徳島県徳島市丈六町丈領の丈六寺にある稙元の供養塔

 播磨赤松氏の一族で蜂須賀家の家臣・(赤松?稲田?)貞祐の子。尾張岩倉で生まれる。播磨三木城攻めなどで活躍した。1585年の四国征伐後、蜂須賀家政が阿波に移封されると、脇城1万石を与えられ、戦乱で荒れ果てた領地の復興に努める。
 その後も、小田原征伐・朝鮮出兵・関ヶ原の戦いで活躍した。大坂の陣にも従軍し活躍する。その後、宗心と号した。1628年8月18日死亡。

管理人・・・父・貞祐の名字がどちらか分かりませんでした。でも、貞祐って名前がなんとなく赤松っぽいので、稙元の代で名字を変えたような気がします。

参考文献:阿波人物誌・戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2006年2月7日
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