稲田示稙

(いなだしげたね)

生没年:1577〜1650年/ 身分:蜂須賀家の家臣/ 官位(通称、号):修理亮

稲田示稙の供養塔
徳島県徳島市丈六町丈領の丈六寺にある示稙の供養塔

 稲田稙元の息子。稲田家の二代目。小田原征伐・朝鮮出兵・関ヶ原の戦いに従軍した。大坂冬の陣にも従軍し、本町橋の夜襲戦で豊臣軍の撃退に成功し、徳川家康から感状と長光の刀を賜る。陣後、洲本城代となり合計1万4千石を与えられた。1646年に隠居する。1650年3月12日死亡。

管理人・・・稙元の息子と書いていますけど、資料には何も書いてありません。まあでも示稙が稲田家の二代目ということと稙元との年齢差から考えて間違いないと思います。

参考文献:阿波人物誌・大坂の陣と徳島藩

UPDATE 2006年2月9日
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