大乗山高山寺(杉原盛重が大檀那だった寺)

●大乗山高山寺
住所:岡山県井原市高屋町1801
駐車場:あり

 真言宗大覚寺派。本尊は愛染明王。行基が開山したと伝わる。本来は天台宗で陶山氏が寄進した際、真言宗に改宗し末寺が12あった。西にある小見山城主・小見山二郎行忠の祈願所となったが、毛利氏が小見山城を支配するようになると寺領を没収され末寺も廃寺となる。その後、備後神辺城主・杉原盛重が大檀那になったという(『水野記』『備中誌』)。天保8(1837)年に焼失したが、その後再建されている。
 寺宝に国指定重要文化財の木造地蔵菩薩立像、木造不動明王坐像、県指定重要文化財の十一面観音立像などがある。木造地蔵菩薩立像は大阪府交野市星田にあった愛染寺から明治5(1872)に住職の法祥が勧請したと伝わり、昭和29(1954)年の解体修理の際、銘文が見つかり宝永4(1707)年に近畿・中国・四国地方で起きた地震の死没者の慰霊文と、富士山の宝永噴火の大坂の様子が記してあった。木造不動明王坐像も同年に山城国綴喜郡の八幡神社から法祥が勧請したものである。

(山門)
山門

(境内の様子)
境内の様子

(三十三観音。恐らく岡山三十三ヶ所観音霊場)
三十三観音

三十三観音

(本堂)
本堂

(山門に吊してある康正2(1456)年の銘がある梵鐘)
梵鐘

参考文献:井原市史、岡山県の地名

感想:古刹ではよくあることですが登るまでの車道のカーブが多く注意が必要です。


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後醍醐天皇の休石(新見市)

●後醍醐天皇の休石
住所:岡山県新見市千屋花見
駐車場:道路に停車スペースあり

 元弘元(1331)年、倒幕に失敗した後醍醐天皇は隠岐に流されることになった。伯耆に向かう途中の当地で大きな石を見つけ休まれ、遠くの明地峠(明智峠とも。岡山県新見市と鳥取県日野町の県境にある)を見られて「夜は明智 月は入野に 身は成地 いつも花見る 休石かな」と詠まれたという。

(全景。中央に見える祠は後醍醐神社)
全景

(杉。奈良県吉野町の吉水神社(祭神・後醍醐天皇)の檜皮屋根に自生している杉を持って帰り隠岐国分寺や黒木御所、そして当地に植樹した)
杉

(休石)
休石

参考文献:新見の里 続

感想:車で走っている時、たまたま見つけて寄って見ました。岡山県北部は後醍醐天皇伝説の多い土地で、新見市も「鞍掛け岩」「馬蹄石」「こおもり穴」などの伝説が残っているそうです。


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備中小見山城(小見山二郎行忠の城)

●備中小見山城
住所:岡山県井原市高屋町
駐車場:不明
遺構:曲輪、土塁、堀切、竪堀
標高:183メートル/比高:26メートル

 城主は鎌倉時代に後醍醐天皇の籠もる笠置山を攻撃した小見山二郎行忠と伝わり、戦国時代になると毛利氏の家臣の三原氏などが城主を務めたという。現在の遺構も毛利氏による改修が指摘されている。

(北端の曲輪。果樹園になっている(なっていた?)が土塁が残っていた)
北端の曲輪

北端の曲輪

北端の曲輪

(上記のすぐ南にある曲輪。周囲に堀切、竪堀がある)
すぐ南にある曲輪

すぐ南にある曲輪

すぐ南にある曲輪

すぐ南にある曲輪

(南の曲輪群。上記との曲輪群とは堀切で区切られている。更に南に遺構があるのだが危険なので行っていない)
南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

(南の曲輪群の腰曲輪)
腰曲輪

(西にある竪堀)
竪堀

参考文献:岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊 備中編、岡山県の地名

感想:車で行けば「すど観光農園」から降ることになるので楽です。城が機能していた頃は西の高屋川方面から攻めることになるため、遺構も北の曲輪が一番広く南に曲輪が延びているのでしょう。


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