元巣塚(木崎原の戦いで戦死した伊東軍の祟り)

●元巣塚
住所:宮崎県えびの市池島(字 二月田)
駐車場:あり

 県指定史跡。この地では、住民や通行人、牛馬が突然死することがあり、木崎原の戦いで戦死した伊東軍の怨霊による祟りではないかという噂が広まった。そのため、慶長18(1613)年に鹿児島藩の地頭である伊集院肥前入道元巣が供養塚を建立した。

(全景)
全景

(元巣(がんそう)塚)
元巣塚

元巣塚

(木崎原古戦場とは目と鼻の先だが間にJR吉都線が通っており通行禁止になっている)
JR吉都線

参考文献:宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、えびの市公式サイト

感想:現地で知って参拝しました。



木崎原古戦場(伊東義祐軍と島津義弘軍、激戦の地)

●木崎原古戦場
住所:宮崎県えびの市池島、今西(字 西郷田、永田原)
駐車場:あり

 県指定史跡。元亀3年(1572年)5月、日向の大名・伊東義祐は一族の4人の大将に数千の兵を付けて、真幸院(まさきいん。えびの市、小林市、西諸県郡高原町一帯)へ派遣し、加久藤城を攻撃させた。しかし、加久藤城の激しい抵抗により落城させることができず、伊東軍は鳥越城に布陣していた後続部隊と合流する。
 元亀3(1572)年5月4日、この報告を受けた島津義弘は数千の兵を率いて鳥越城を包囲し、攻撃を開始。伊東軍と鳥越城の南西に位置する木崎原で激戦が繰り広げられたが、水浴びをするなど油断していた伊東軍は崩壊し、大将の一人である伊東又次郎が戦死した。その後、伊東軍は古陣原で踏みとどまったものの、勢いに乗る島津義弘軍に抗しきれず、大将が次々と討ち取られ、約300人(あるいは約560人ともいわれる)の戦死者を出す大敗を喫する。
 この戦いを契機に伊東義祐は支配力を徐々に失っていった。

(木崎原古戦場跡の碑。この前が駐車場になっている)
木崎原古戦場跡の碑

(古戦場に建つ当地出身の方の作品・恕。下記にある三角田の手前に建つ)
作品・恕

(六地蔵塔。島津義弘が島津・伊東両軍で戦死した約800人(数には諸説あり)を供養するため建立した)
六地蔵塔

六地蔵塔

六地蔵塔

六地蔵塔

(池島神社。当初は水神を祀って池島地区の水難除けと五穀豊穣を願って建てられたが、住民の要望で平成29(2017)年現在地に移転され、その際に精矛厳健雄命(くわしほこいづたけをのみこと。鹿児島県姶良市の精矛神社での島津義弘の神号)も勧請して祭神に加えられている。)
池島神社

(三角田(みすみだ)。圃場の形が三角になっていることからこう呼ばれており、島津義弘が伊東軍の大将の一人・伊東新次郎を討ち取った場所だという。この時、敵中に突っ込みすぎた義弘を守るため家臣の久留半五左衛門、遠矢下総守、富永刑部、野田越中坊、鎌田大炊之介、曽木播磨が戦死した)
三角田

三角田

(島津義弘の歌碑)
歌碑

参考文献:「不屈の両殿」島津義久・義弘、宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、宮崎の文化遺産 (宮崎の自然と文化5) 、みやざきの文化財情報えびの市公式サイト

感想:寡兵の島津義弘に対して大軍の伊東義祐が負けたイメージがありましたが兵数は史料によってまちまちのようで実際はそれほど劇的な勝利ではなかったようです。
 ここは宮崎県に旅行した際のメインの目的地でしたので着いた時は嬉しかったです。



伊集院源次郎忠真の供養塔

●伊集院源次郎忠真の供養塔
住所:宮崎県小林市野尻町東麓(字 夜川松)
駐車場:あり

 市指定史跡。慶長4(1599)年、伊集院忠棟が伏見にて島津忠恒によって殺害されると、その子・忠真は島津家に反旗を翻した(庄内の乱)。慶長5(1600)年徳川家康の仲介により忠真は島津家に降伏したが、肥後の加藤清正と通じているなどの良からぬ噂が絶えなかった。そのため、忠恒は忠真を討つことを決める。
 慶長7(1602)年8月17日、上洛の途上で野尻に滞在中、忠恒は鷹狩りを催し、その最中に家臣に命じて同行していた忠真を殺害させた。同日、忠真の母・弟らも悉く殺された。麓村(東麓地区)では8月17日に火災が続いたため忠真の祟りだということになり弔恤(ちょうじゅつ。死者を弔い、その死を哀れむこと)を行ったところ鎮まったと伝わる。

(全景。この境内を地元の方は「お塔頭(オタッチョ)」と呼んでいるらしい)
全景

(伊集院源次郎忠真の供養塔)
供養塔

(押川治右衛門の供養碑。治右衛門は鉄砲の名手で白い馬に乗った忠真を暗殺するように命じられていたが、忠真が島津家の家老の子の平田新四郎と馬を取り替えていたため、白い馬に乗った新四郎を誤射してしまう。そのため責任を取って治右衛門は自害している)
押川治右衛門の供養碑

(誤射されて亡くなった平田新四郎の供養碑。上記と新四郎の供養碑は治右衛門の一族である押川則貞が慶長8(1603)年に建立した)
平田新四郎の供養碑

野尻城にあった忠真の家臣らの墓石を集めたもの)
忠真の家臣らの墓石

参考文献:宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、小林市公式サイト

感想:有名な方なので参拝しました。駐車場は現地で知って急いで車を動かした記憶があります。