六地蔵幢(北原氏・伊東氏と北郷氏の戦いの戦死者供養塔)

●六地蔵幢
住所:宮崎県小林市水流迫(字 炭床)
駐車場:なし

 市指定有形文化財。六道とは、生前の業因によって生死を繰り返す六つの迷いの世界、すなわち地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上を指す。六地蔵幢は六地蔵信仰に基づいて建立され、六つの辻に立つ六つの地蔵が人々を救うと信じられている。
 この六地蔵幢は高さ約2メートルで、上部が八角筒形になっており、六地蔵、如来像、不動像が浮き彫りにされている。天文10(1541)年の銘があることから、この年に北原氏・伊東氏の連合軍と北郷軍(島津軍)が志和池や三股で戦い、多数の戦死者が出たため、その供養のために建てられたと伝えられている。

六地蔵幢

六地蔵幢

六地蔵幢

参考文献:宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、小林市公式サイトみやざき文化財情報

感想:雑木林の中にありましたが25年くらい前に移転されたそうです。



伊東塚(木崎原の戦いで戦死した武将たちの供養塔)

●伊東塚
住所:宮崎県小林市真方(字 因幡)
駐車場:なし

 県指定史跡。元亀3(1572)年5月の木崎原の戦い後、島津軍は首実検を行い名のある武将らの首は三ッ山城に送り、その後この地に葬った。約220名が葬られた因幡(いんば)塚は、後年になって伊東塚と呼ばれるようになる。
 慶安3(1650)年、島津家の武将・五代勝左ヱ門は戦死者の霊を慰めるため五輪塔を建立した。近世後期になると名のある武将の供養塔が失われ、伊東加賀守、伊東又次郎、伊東新二郎、米良筑後守、米良喜右介、米良式部少輔、稲都又三郎、上別府宮内少輔、野村四郎左衛門の9基だけが残った。これを悲しんだ小林地方の地頭・市田長門守源義宣は、文化14(1817)年に塚の保存と戦いの記憶を後世に伝えるため石碑を建立した。当時、ここには曹洞宗の昌寿寺があったが明治維新後の廃仏毀釈で廃寺になった。

(伊東塚全景。向かって左が石碑)
伊東塚全景

伊東塚全景

(石碑)
石碑

(供養塔)
供養塔

供養塔

供養塔

参考文献:宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、小林市公式サイトみやざき文化財情報、現地の案内板

感想:周りに駐車場が全くなく、宮崎県の史跡巡りでもっとも駐車場について頭を悩ました場所です。かなり歩きますが西にある緑ヶ丘公園に駐めるのが無難です。



首塚と大刀洗川(木崎原の戦いで戦死した伊東軍の兵を葬った場所)

●首塚と大刀洗川
住所:宮崎県えびの市今西(字 太刀洗河)
駐車場:なし

 県指定史跡。元亀3(1572)年5月の木崎原の戦い後、島津軍は首実検を行い名のある武将らの首は三ッ山城に送り、その後に伊東塚に葬られた。その他は当地に埋められて供養されている。それが首塚である。
 大刀洗川は島津軍の兵が木崎原の戦いで刀についた血を洗ったと伝わる川。現在はほとんど水量がない。

(首塚)
首塚

首塚

(大刀洗川。地元では「たっちゃらご」と呼ばれている。水は鳥越城から流れていたらしい。碑が設置してある)
大刀洗川

大刀洗川

大刀洗川

参考文献:宮崎県の地名、宮崎県の歴史散歩、えびの市公式サイト

感想:大刀洗川で水が流れているところを探しましたが見つかりませんでした。