土佐森沢城(森沢氏の居城)

●土佐森沢城
住所:高知県四万十市森沢
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切、竪堀、土塁、虎口
標高:71メートル/比高:62メートル

 西に森沢川、東に風指川が流れており天然の濠となっている。城主は当地を治めていた森沢氏で領内の仁井田神社の修復に関わっている。土佐一条氏に仕えて一緒に没落したようで天正年間(1573~92)後半に作成された長宗我部地検帳では城域が全て「荒」と記載されており廃城になったようである。同じく当地を治めていた浦田氏は長宗我部氏に臣従して屋敷を構えていたことが地検帳で分かる。

(入口)
入口

(最南端の曲輪)
最南端の曲輪

(最南端と南の細長い曲輪の間にある堀切)
堀切

堀切

(細長い曲輪)
細長い曲輪

(細長い曲輪と主郭の間にある堀切)
堀切

堀切

(主郭。虎口と土塁があった)
主郭

主郭

主郭

(主郭から北に延びる曲輪群)
曲輪群

曲輪群

曲輪群

(主郭の西にある大きな曲輪)
大きな曲輪

大きな曲輪

(竪堀)
竪堀

竪堀

(森沢川)
森沢川

感想:土佐の山城(ハーベスト出版)で駐車スペースと書いてあった場所は工事車両があったため別の場所に駐めました。



おじょろ墓(佐喜浜城侍女自害の地)

●おじょろ墓(佐喜浜城侍女自害の地)
住所:高知県室戸市佐喜浜町薬師
駐車場:なし

 天正3(1575)年、長宗我部元親によって佐喜浜城が落ちた際、侍女数名が自害したため村人がここに葬ったという。

(おじょろ墓への道。間に唐ノ谷川が流れている)
道

(薬師堂)
薬師堂

(平成8(1996)年に建てられた碑)
碑

(周囲にあった石。これがおじょろ墓だろうか)
おじょろ墓

感想:ここに行くには渡河する必要があるため長靴で行った方がいいです。



土佐栗山城(十市城、十市細川氏の居城)

●土佐栗山城(十市城)
住所:高知県南国市十市
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、竪堀
標高:63メートル/比高:59メートル

 南北と西を急峻な崖に囲まれ、南に広がる太平洋の商船の航路の警備が目的だったと推測されている。城主は室町幕府の管領・細川頼之の後裔と伝わる十市細川氏である。明応年間(1492~1501年)頃、細川重隆が当地に来て築城したという。天文18(1549)年、長宗我部国親に攻められ降伏した後は重臣となって活躍した。元親の時代に当主の宗桃が宿毛市の鶴ヶ城(吉奈城)に移ると息子の備前守が城主になっている。天正15(1587)年までは城として利用されていたことが分かるが、その後は不明である。

(全景・・・だが手前は民家なので直進してはいけない。詳しくは一番下のGoogleMAPを参照)
全景

(城址の入口。八幡宮までの参道があり歩きやすい)
入口

(最初、城域の東端からと思って撮ったが縄張図を見るとただの参道だった場所)
偽の西端

(下の概略図の曲輪1。周りが窪んで土橋っぽくなっている箇所があるが、現在墓が建っている場所が陥没しただけのようだ)
西端の郭

西端の郭

西端の郭

(曲輪2の東端。天正年間(1573~92)に創建されたという城八幡宮の鳥居と社殿がある。この石段の場所も昔は切岸だったのだろう)
主郭

主郭

主郭

(社殿の西にも更に曲輪があるため、苦労しながら竹藪を進むと土塁があった)
主郭

主郭

主郭

(主郭西の土塁の切れ目A。こちらが本来の入口? 昭和時代までは東の参道部分も急峻な場所だったらしいが、破壊が進んでいるので本来の縄張が不明のため何とも言えない)
主郭

(曲輪3。竹藪で写真だと伝わりづらい)
南の曲輪

(南の竪堀B)
南の竪堀

参考文献:高知県の地名、土佐の山城、日本城郭大系

感想:駐車場が近くになくて大変です。自分で見つけてください。
 本文でも書きましたが、最初に関係ない山を登って地主さんに「おーい、なんか用か」と声をかけられ城までの道を教えてもらいました。

(概略図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図