上野小川城(真田氏ゆかりの城)

住所:群馬県利根郡みなかみ町月夜野

 1482年、沼田景久が築城し次男・景秋が城主として入る。しかし後裔が後北条氏との戦いで戦死し途絶えてしまったため、一族の北能登守・南将監らが争い城内は混乱してしまう。その頃、赤松則村の子孫を名乗る赤松祐正という浪人が城内に入って次第に頭角をあらわし、上杉謙信の許可を得て沼田氏の娘を娶り小川可遊斎と名乗った。しかし1580年、後北条氏によって落城。その後、真田氏の支配下におかれるが1638年に廃城となった。

(二の丸辺り。気合い入ってます)

(堀)

(城址碑)

(本丸跡に建つ祠)

感想:JR上毛高原駅の近くのためアクセスは良いです。


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戸鹿野八幡宮(真田昌幸ゆかりの神社)

住所:群馬県沼田市戸鹿野町800

 1530年、沼田城主・沼田顕泰が城の守護神を祀るため創建した。沼田城主が敵に苦戦した際、多数の鳩が敵陣の上空を舞って敵を混乱させたため勝利をおさめた地とも伝わる。1580年、沼田城を支配した真田昌幸が出陣の際に祈願してから、真田家の武神として崇敬を受けた。

(鳥居)

(拝殿)

(1658年に建てられた本殿)

感想:周辺の道が狭く駐車場もありませんので、車で行かれる方は気を付けて下さい。


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海野塚(海野輝幸終焉の地)

住所:群馬県沼田市岡谷町1116-3

 1580年、真田昌幸は後北条氏の城・沼田城を調略で奪い取り、二の丸を一族の海野輝幸に任せた。輝幸の兄・幸光も岩櫃城代を務めていたため、この兄弟の重用を妬んだ者が「海野兄弟は後北条氏と通じている」と讒言した。これを信じた昌幸は弟・信尹に幸光を討たせた後、沼田城に向かわせた。輝幸は逃亡したが、当地で真田勢に追いつかれ息子の幸貞と共に自害している。その後、ここに葬られ海野塚と称された。

(塚)

(全景)

感想:駐車場はありません。


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