福釜城(福釜松平氏の居城)

住所:愛知県安城市福釜町蔵前

 福釜町蔵前204に建つ西岸寺の南側が城趾だと伝わる。松平長忠(長親)の息子・親盛が築城したといわれている。当初は居館があった程度だったが、1556年に今川義元が西への足掛かりとして改築し砦とした。織田信長は義元の西進を阻止するために砦を攻めるが敗退している。
 1563年の三河一向一揆では福釜松平氏の当主・親次は徳川家康に味方して城に籠もり、一揆勢と戦い多くの戦死者を出した。家康の関東移封で一時期城を去ったが、関ヶ原の戦い後に戻っている。

(県道295号。かつてはこの辺りに丘があったが県道を通すために分断されている。少し坂になっているのが当時の遺構になるのだろうか)

(城に関係しているといわれている個人宅の庭に建つ祠)

感想:福釜城といえば上記の祠の写真が本やネットに掲載されていますが、家の方によると城とは全く関係ないそうです。明治時代に他県から引っ越して家を建てた際に氏神として祀ってあった祠も持ってこられたそうなのですが、城趾にあるため、それがいつしか城と関係があるものと勘違いされるようになったとか…。


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