瀬田の唐橋

住所:滋賀県大津市唐橋町、瀬田一丁目
 琵琶湖の南、瀬田川に架かっている。最初に架けられた年代は不明だが日本書紀にも記載があるほど古い歴史を持つ。「唐橋を制するものは天下を制する」という有名な言葉の通り、672年の壬申の乱、764年の藤原仲麻呂の乱、1184年の源義経と木曽義仲の戦い、1221年の承久の乱、1582年の本能寺の変後に明智光秀の安土城進撃阻止のために焼かれるなど、何度も歴史の舞台となった。
 1979年、鉄筋コンクリート製になり車も往来できるようになったが、欄干に擬宝珠をつけるなど旧来の雰囲気を残している。

(東側から撮影した唐橋)

(西側から撮影した唐橋)

(7年前の唐橋。最近、塗り替えられたようだ)

(唐橋で百足退治をした伝承がある俵藤太(藤原秀衡)の像)

(像の案内板。まったく読めなくなってる…)

(俵藤太百足退治伝承の地の碑)

感想:時間が余ったので何となく行ってみました。


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石山寺(紫式部所縁の寺)

住所:滋賀県大津市石山寺1丁目1-1

 真言宗。西国三十三所第十三番札所。平城京建設の際、瀬田川を利用して木材を奈良に運ぶ途中にあった石山に役所が建てられたのが起源だと伝わる。747年(749年とも)、聖武天皇の勅願で良弁が開基した。761年、本堂などが増改築される。1004年、紫式部が当寺で源氏物語を書き始めたという伝承がある。
 建久年間(1190~1199年)、源頼朝が東大門などを建立した。1600年には淀殿が修理に尽力している。1613年に徳川家康が600石を寄進した。
 大津屈指の古刹で「漢書 高帝紀下、列伝第四残巻」「延暦交替式」「木造毘沙門天立像」「木造維摩居士坐像」など多数の国宝・重要文化財を所蔵している。

(三鈷の松。空海ゆかりの松らしい)

(入母屋造の東大門)

(東大門を潜るとおおつ光ルくんがお出迎え)

(参道。広いなあ…)

(塔頭の山門にも光ルくんがいた)

(大黒天堂)

(くぐり岩)

(毘沙門堂)

(蓮如堂。1602年に淀殿が当寺の増改築した際、三十八所権現社の拝殿として建築された。明治時代以降は蓮如の遺品などを祀るようになったことからこの名がついた)

(四国霊場八十八ヶ所の土が埋めてある宝篋印塔。この周りを廻ると八十八ヶ所を巡るのと同じ功徳が得られるらしい。よくある感じのものだけど一応廻ってみた)

(空海・淳祐の御影が安置してある御影堂)

(国宝・本堂。1096年の再建で滋賀県でもっとも古い建物である。中は撮影禁止)

(本堂の一角にある源氏の間。紫式部がここで『源氏物語』の筆を起こしたと伝わる。ここは撮影禁止じゃなかったので撮っておいた)

(三十八所権現社の本殿。本堂の北側にぽつりと建っている)

(紫式部供養塔)

(大日如来坐像が安置してある多宝塔)

(めかくし石。目を隠してこの石を抱けば願い事が成就するらしい。私は試してない)

(源頼朝と亀ヶ谷禅尼の供養塔)

(2008年に建てられたばかりの光堂。の割にはかなり古びた感じがするけど…。造りというより汚れのせいかな)

(紫式部の像)

(木に囲まれた龍穴ノ池に建つ八大龍王社。さすがにここに来る人はほとんどいなかった)

(駐車場にある石山貝塚の碑)

感想:まあとにかく観光客が多かったです。そしてとにかく広い…。


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義仲寺(木曽義仲・松尾芭蕉の墓)

住所:滋賀県大津市馬場1丁目5-12

 1184年、木曽義仲の戦死後に側室・巴御前が当地に義仲を埋葬したことが始まりだと伝わる。室町時代末期に南近江の守護・六角氏が当寺を再建した。江戸時代中期までは義仲の墓と伝わる塚があるだけの小さな寺だったが、義仲を敬愛した松尾芭蕉が度々訪れ遺言により当寺に葬られたことから興隆する。その後、再び荒廃するが1769年には蝶夢が復旧に努めている。
 その後、火災や洪水など度々の苦難を乗り越えたが、太平洋戦争後に荒廃の極みに達する。そこで東京の一個人の篤志により1965年に再建され、1985年に現在の形となった。現在は境内全体が国の指定史跡となっている。

(山門)

(義仲・義高父子の木像が安置されている朝日堂)

(木曽義仲の墓)

(巴御前の供養塚・巴塚)

(松尾芭蕉の墓)

(芭蕉の像などを安置されている翁堂)

(木曽八幡宮)

感想:境内は広くはないですが墓や塚、御堂などが数多くあり見応えのあるお寺でした。


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