住所:静岡県浜松市中区三組町185
浄土宗。名湖岸新四国八十八ヶ所霊場第四十九番札所。浜松城主・松平忠頼が両親の菩提を弔うため創建した。
(人体解剖発祥の地の木標。日本初ではないようなので静岡県なのか浜松市なのか…詳しいことは分かりませんでした)
(徳川家康に仕えた松平家広と忠頼の墓。右が家広、左が忠頼である)
感想:住宅街の中に建っているため道が狭く運転で苦労した…。車で行かれる方は離れたところに駐めて歩いて行くのがいいと思います。
住所:静岡県浜松市中区上島7丁目14ー50
黄檗宗。794年、坂上田村麻呂が東征の途中で磐田市に寄った際、赤蛇が航海の旅人に危害を加えていたのを知って薬師如来を勧請し堂を建立した。すると仏の力により赤蛇は大人しくなり航行の安全を約束して田村麻呂の子を産んだという。
やがて真言宗・光福院が建立され興隆するが、その後廃寺となる。しかし薬師堂は残り、眼病に効くことで知られ篤い信仰を集めた。1896年、引佐郡細江町から当寺を移し黄檗宗に改め現在に至る。
(江間時成の墓。時成は今川家の陪臣だったが、桶狭間の戦い後に徳川家康に通じようとする。しかし武田信玄と通じようとした従兄弟の安芸守と対立し1568年に殺害されてしまう。時成は当寺で祈願して眼病が治ったという伝承があり、その縁で墓が建てられたのであろう。この墓は本堂の裏を登ったマンション駐車場の一角に建っていた)
感想:田村麻呂の子の産湯もあったそうなのですが気がつきませんでした。