大久保石見守長安陣屋跡(産千代稲荷神社)

住所:東京都八王子市小門町82

 1590年、関東に移封された徳川家康は直轄地に代官頭を置いて領国経営を開始。代官頭・大久保長安も八王子に陣屋を構え政務を執った。長安は陣屋を構えるに際して、倉稲魂命を祀った産千代稲荷神社を創建する。
 長安没後に陣屋が無くなると畑地になったが、産千代稲荷神社だけはそのまま放置されたため大木が茂り『稲荷森』と称された。
 現在は周辺は住宅地となり神社も整備されている。

(鳥居)

(大久保石見守長安陣屋跡の碑)

(拝殿。神社の歴史が書いてあるパンフレットが置いてあった)

感想:信松院から500メートルくらいしか離れていないので歩いて行けます。


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信松院(武田信玄の娘・松姫の墓)

住所:東京都八王子市台町3ー18ー28

 曹洞宗。武田家滅亡の際、武田信玄の四女・松姫は難を逃れて八王子に落ち延びる。1588年、松姫は随翁舜悦卜山の弟子となり、1590年に信松院を開基した。
 寺宝の木造軍船のひな形は文禄の役の際に小早川隆景が使用した軍船のひな形と伝わる。

(入り口。三が日に行ったので何かを販売されてた)

(1988年に建立された観音堂と舎利殿)

(鐘)

(茶筌塚)

(武田信玄の四女(六女とも)・松姫の墓。織田信長の嫡男・信忠と婚約したが破談になったのは良く知られている。法名・信松院殿月峰永琴大禅定尼)

感想:ここに甲斐から逃れる松姫の像があったらしいのだが、お墓を探すのに夢中で気がつかなかった…(T_T)


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分倍河原古戦場(新田義貞の像)

住所:東京都府中市分梅町2-59-4

 1333年5月、上野で挙兵した新田義貞は小手指ヶ原の戦いなどで勝利し鎌倉に向かって南下。これを阻止するため同月15日、鎌倉幕府は北条泰家を大将として分倍に布陣し義貞を迎え撃った。
 一度は敗れ撤退した義貞であったが体勢を立て直し、翌日に泰家の軍勢を攻撃して勝利をおさめる。その後、義貞は鎌倉まで攻め幕府を滅亡させている。

(1940年に建てられた古戦場碑。時期的に政治的な臭いがしますねえ・・・)

(分倍河原駅のロータリーに建っている新田義貞公之像)

(像の近くにある碑)


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