常安寺(九鬼家の菩提寺)

住所:三重県鳥羽市鳥羽2丁目12-3

 曹洞宗。創建年代は不明だが、当時は真言宗で大福寺という寺号であった。文禄年間(1592~1596年)に九鬼家の菩提寺となり、曹洞宗に改められる。1607年、九鬼守隆が父・嘉隆の菩提寺と定め寺号も常安寺に変えた。明治時代には明治天皇が鳥羽に来た際、行在所となっている。
 寺宝には嘉隆が自刃した際に使用した短刀や嘉隆の肖像画がある。

(明治天皇鳥羽行在所の碑)

(山門)

(鐘楼)

(本堂屋根修復記念碑? 九鬼家の家紋が入っていた)

(伽藍。正面が本堂だと思う)

(九鬼家累代の墓)

(左から守隆、嘉隆、守隆の息子で初代綾部藩主・隆季の墓)

(左が嘉隆正室、右が守隆正室)

感想:写真の他にもいくつか御堂がありましたが、何のためのものかよく分かりませんでした。




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志摩鳥羽城(九鬼氏の居城)

住所:三重県鳥羽市鳥羽町

 1594年、九鬼嘉隆によって三方を海に囲まれた当地に築かれる。鳥羽はもともと伊勢神宮の神領であったが源平合戦の騒乱に巻き込まれ、橘氏が神領を奪い砦を築いて領主となった。室町時代には大井氏が鳥羽周辺を支配したが、戦国後期になると九鬼嘉隆が勢力を伸ばし鳥羽を手に入れている。
 嘉隆の息子・守隆は豊臣家と徳川家に仕え3万石を領したが、寛永年間(1624~1643年)にお家騒動があり、九鬼家は摂津三田に移された。
 その後、内藤家・土井家・松平家・板倉家・松平家と1633~1724年の間に城主が何度も代わったが、1725年からは稲垣家が城主となり明治維新を迎えた。
 1871年、廃藩置県で御殿・櫓・門などが撤去される。1929年には二の丸に鳥羽小学校が建設され本丸は運動場となった。戦前は武家屋敷などが残っていたものの戦後は取り壊されてその後に鳥羽幼稚園が建った。現在は発掘調査と整備が進んでいる。

(武家屋敷の石垣。塀は復元したもの)

(整備された三の丸)

(石垣)

(二の丸)

(本丸の石垣)

(本丸)

(伊勢湾を望む)

感想:2003年、2009年、2012年と3度行きましたが、その度に整備が進んでいます。次に行くときはもっと整備されていると嬉しいですね。




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波木井城

住所:山梨県南巨摩郡身延町波木井

 南部実長が築いたと伝わるが定かではない。大永年間(1521~1528年)、今川氏の武将・福島正成が甲斐を攻めた際に城主・波木井義実は今川軍に通じたため、武田信虎に城を攻められ滅ぼされている。土門と呼ばれる虎口状の遺構が残っている。

(入り口にある案内)

(城趾碑。これ以外、特に何もない。遺構も分からなかった)

(波木井城から富士川方面を望む)

感想:とにかく場所が分からなくて近所の方に聞いて半ば強引に案内してもらいました。ありがとうございました!


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