2012年四国史跡巡り(1日目その1:久万俊宗・勝賀野実信の墓)

 2012年4月28日(土)、久々に長い休みが取れたので四国を4分の3周(高知・愛媛・香川)することにした。
 目覚まし設定のミスで2時半に起きるつもりが4時。急いで準備したが宝塚で大渋滞に捕まってしまい、高知に着いたらすでに12時だった・・・TT
 取りあえずサニーマートで昼食とデザートを買う。

(サニーマートの四国フェアで売っていた『バリィさんの焼豚たまご飯』)

(同じくサニーマートで手に入れた『もっち餅バリィさん』)

 昼食を済ますと史跡巡り開始。

1.久万俊宗の墓・・・高知県須崎市浦ノ内灰方。四国征伐後、灰方に隠居しそこで没した俊宗の墓がある。
感想:かなり迷って最後は諦めて帰る、と想定していたのだが、意外にあっさりと辿り着けた。事前準備と近所の方の協力の賜物だ。灰方地区の皆様、ありがとうございました!

(久万俊宗の墓)

(久万家累代の墓。久万家の方はすでに東京に移られたため、近所の方が管理されているんだとか。管理されている方の家を通る必要があるため必ずお願いしてから入りましょう)


2.勝賀野実信の墓・・・土佐市蓮池芋岡。吉良親実の家臣で長宗我部家の家督騒動の際、討ち死にした実信の墓(正確には昭和29年に建てられた供養塔)。
感想:ここは市役所から送ってもらった地図が間違っていて難儀した・・・。小丘の上にあるというので行ってみたら上がる道がない。おかしいと思って近所の方に聞いたら「実信の墓のことは知らんけど、墓地なら北側にあるよ」とのこと。乗せていってやると言われて一つ北の通りにある丘まで連れていてもらった。そこにはしっかりと実信の墓の案内版が・・・。
 ここでも地元の方にお世話になりました。いや、市役所の方にもお世話になったけど。近いところまででも教えてもらって無ければ辿り着けなかった。

(案内板)

(実信の墓。小丘の上にある一般の墓地から少し降ったところに建つ。夏は草が生えて行けなさそう・・・)




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尾張大野城(山口重政の居城)

住所:愛知県愛西市大野町郷前

 蟹江城の支城として築かれた。1584年、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉の配下だった滝川一益に蟹江城が奪われた際、当時の城主・山口重政は母を蟹江城内で人質に取られ豊臣軍から味方になるよう強要されたが拒否。徳川家康織田信雄に援軍を依頼したのが勝因の一つとなっている。重政はこの縁でのちに家康に仕えた。城は翌年の大地震で倒壊し廃城となる。

(城趾碑)

(碑の東側にある溜め池)

感想:同じ尾張地方の常滑市にも織田有楽斎や佐治一成が城主だった大野城があります。そちらは公園として整備され模擬天守も築かれているため、城主の知名度とあいまって一般に尾張大野城と言えば常滑市の方が知られています。




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尾張蟹江城(小牧・長久手の戦いの舞台)

住所:愛知県海部郡蟹江町城

 永享年間(1429~1441年)に北条時任が、伊勢と尾張を結ぶ交通の要所・蟹江の地に築城。その後、斯波氏の手によって増築された。三重の濠で囲まれ海に面した堅牢な城だったという。1584年の小牧・長久手の戦いでは伊勢長島城の織田信雄と尾張清洲城の徳川家康を分断するため豊臣秀吉の配下となっていた滝川一益が城を乗っ取る。しかし家康らの素早い反撃に遭い降伏し、家康らは難を逃れている。翌年の大地震で大破し廃城となった。

(本丸跡に建つ城趾碑)

(本丸井戸跡)

(本丸跡近くに建つ秋葉神社)

(城跡の近くを流れる蟹江川)

感想:今ではほとんど遺構も残っていませんが、小牧・長久手の戦いの戦局が変わるほど重要な戦いが繰り広げられた場所です。
 車を駐めるような場所がないため、蟹江町歴史民俗資料館に駐めて無料の資料館を見学した後、歩いて行きましょう。




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